法治国家とは感情を煮つめて憲法にした国である(圏外からのひとことさん)

essa.hatenablog.com
おもしろい言い方。例えかたが素晴らしくうまい。
土着の法律は紛争や軋轢の繰り返しのなかから、ある程度自然発生的に生まれてきたもの。その意味で、社会の構造・文脈・世界観そのようなものを反映している。
しかし、日本(をはじめ非ヨーロッパの社会)では、外部から社会的文脈を考慮しない「権威」として導入された。その結果、法と社会の関係は切れたままで、双方ある程度自律的な状態発展してきた。その結果、ヨーロッパから導入された法や学問で作られた「公的」「公式」「表」の世界と伝統的な社会関係、共同体やそれこそヤクザ・人脈関係などに基づく「私的」な世界の間が乖離してしまったように感じる。
今現在、日本の社会が、ガタガタ、ギスギスと軋んでいるのは、この両輪でまわっていた日本社会の「私的」な部分が高度成長以降の社会変動によって解体してしまったことが原因ではないだろうか。法の世界は日本の社会の深くまで浸透していない、あくまで「表側」のもので、今まで日本は人治社会だったように考えている。
その意味で、essa氏の

もしそれが切れてしまったら、プロの法曹関係者は感情論を笑いものにしたりしないで、それをつなぎ直そうと必死で努力する。

という部分には同意できない。法曹関係者はその乖離、機能不全に気付きつつも、その原因がつかめず対応しかねているように見える。(ちょっと法曹関係者に失礼な言い方かもしれないが、特に裁判官を見ているとそのように感じる)