夕食後、寝てしまったので激略式更新。日付が変わっている…
久しぶりに、一日に2つ以上のことをこなしたような。
午前中は、昨日行けなかった散髪へ。少し伸びすぎていたのでさっぱり。しかし、前髪が寝ない。
 午後からは、熊本大学の「知のフロンティア講座:足偏(あしへん)歴史学の可能性」を聞きにいく。熊本大学地域貢献特別支援事業「下益城郡美里町(旧中央町)の金石文調査」に関連した話題。旧中央町の石碑調査の簡単な説明とその意義についての話が主。講師の先生が幕末から近代初頭の民衆運動が専門だけに、中近世の金石文に関する説明は少し食い足りなかった気も。普段街中を歩きながら、あの建物は古そう、こんな所に石碑があったなんてやっている人間には、もう少し、実用的というか、ノウハウ的な話が聞きたかった。
 熊大の調査では、公的な事業であることもあり、告知・放送で地域に周知されていて、住民からの警戒をうけることがなかったようだが、個人で石碑や神社を調べて歩くとなると、そのあたりが大きなネックになる。自意識過剰なのかもしれないが、変な目で見られる視線が痛い。そのあたりをどうするか。
手書きのマニュスクリプトに慣れた人にはそうでもないかもしれないが、素人にはかなり新しい時代の石碑でも読むのに苦労する、そのあたりのノウハウ。古い石碑だと風化などで読みにくいが、歴史学のプロは、そのあたりをどうクリアしているのかなど。もうすこし細かい話が講演の材料としては面白かったのではないだろうか。
 最後の知覧を題材にした部分は面白かった。知覧の裏通りにある「保勝会」の石碑に込められた昭和初年ころの町並み保存運動を行った人々の思いと現在の観光資源・スポットライトがあたっている部分の乖離。史跡を観光資源にする土地でも、裏通りに入って眺めると、別のものが見えてくるというのは面白い。
 講演のあと、熊大には昭和6年11月15日の昭和天皇行幸記念碑が分かりにくい所にあり、熊大のキャンパスを歩き回って調べてみてはという講師の先生の言葉を真に受けて、探してみた。熊大の北地区の8割ほどを自転車で回ったが見つからず。あそこにある石碑の類はあらかた知っているつもりだっただけに、ちょっとショック。五高記念館の南側を主に探したのだが、それが見込み違いだったのかも。南辺か教育学部の裏あたりを探すべきだったのかも。どこかで見たような気がするのだが…
帰りに本屋でスクランの8巻を発見、確保。入荷は明日かと思っていたが、思ったよりも早かった。


しかし、熊大サイトの熊本文化発掘事業日本史分野 (下益城郡美里町[旧中央町]の金石文調査)のページ、もっと詳しくすべきなのではないだろうか。通り一遍で、情報量が少ないのではないか。報告書を掲載しろとまでは言わないが… もう少し、読んで面白い、地図なども掲載したサイトにしてもいいのでは。