[読書]足立倫行『森林ニッポン』新潮選書読了

足立倫行『森林ニッポン』新潮選書1998(ISBN:4106005379


林業や森林の再生を目指す、新しい動きを追ったルポルタージュ
前書きの、

「国産材が安い外材に圧迫されている」と従来言われてきた。しかし最近は、国産のスギ材が外材の米ツガ(ウェスタンヘムロック)材に対してそうであるように、価格が逆転して国産材の方が外材より安い例も出てきた。それでも建築分野などでは国産材の需要が伸びない。「国産材は(外材と違って)一定規格、同一品質の木材を大量に供給できない」というのが住宅メーカー側の言い分。林業関係者待望の”国産材の時代”が到来する気配はないのである。(p.11)

という一節に衝撃を受けて、手に取ったもの。
漁協の植樹運動や、東京の木で家を造る会、愛媛県久万町の取り組みなどが取り上げられている。


第三章の「東京の木で家を建てる」が特に興味深い。
「東京の木で家を造る会」の言わば家と木材の地産地消運動、林業家の相続問題、植林放棄地の問題などのトピックが取り上げられている。首都圏にあるだけに全国の林業問題が凝縮して現れている感がある。
皆伐放棄地については本書に、以下のようなシーンがある。

「儲かると思って造林したけど儲からない。だから、伐採跡地に再造林せずに放置する。あとのことはしらねぇよってわけです」
道路脇に車を停めた原島幹典(三九)が、向かい側の斜面を指差した。
三カ所にわたって山林の緑が剥ぎ取られていた。皆伐面積が約二ヘクタールのスギ林。もう五年くらい放置されたままらしい。原島によれば、最近の奥多摩町には、除・間伐をしていない荒れた山に加えこのような皆伐後の放棄地が増えているという。
「どちらにしても山肌が崩落します。伐採跡地の場合、残った根が腐る頃から危ないから、あと数年ですよ。農地の荒廃は修復できますが山の荒廃は危険度がケタ違いです。でも、皆さんそういうことに無頓着ですね。放置した人にも何の罰則もない」p.110

今年に入って、熊本県、特に球磨川流域でも植林放棄地の問題が取り上げられるようになってきた。放置された山林が土砂災害の原因になることを考えると、下流自治体が介入することも含めて、何らかの対策が必要なことはたしかだろう。
その意味では、

羽生は「例えば」と言い、「農地に関わる租税特別措置法みたいなもの」と付け加えた。
租税特別措置法では、農地の場合、相続に際して二十年間の農業継続の意思表示をすれば、その間の納税が猶予される。同様の優遇制度が林地でもほしいと言うのだ。
「民有林は個人の所有となってますが、本来的には公共の財産です。私たち林業家が林地の細分化を防ぐため精いっぱいの努力はしますが、それにも限界があります。森林の公益性に見合うような税制度を考えてもらわないと、現状では山は崩壊するしかないかもしれません」p.106

このような税制上の措置も必要なのかもしれない。もともと、山林は大地主の持ち物で、莫大な富を生むものであったことを考えると、うーむと考え込んでしまうものだが…


「東京の木で家を造る会」の主張もメモ。

在来工法の木造住宅というのは、骨組みさえしっかりしていれば空間構成が割と自由なんです。プレハブなんかと違って壁もそっくり取り外せますから、家族の増減や生活の変化に応じて容易に増改築ができます。… 入居時には家として未完成でもいいんですよ」p.73-4

「そう、確かに汚れやすいし傷つきやすい。でも、木と土と紙で作った家はそういうものだと思って手入れしなくちゃいけません。おまけに木は、縮んだり割れたりします。だから私たちは木の家の特質を知ってもらうために、家を建てる前に施主さんを山や製材所に案内してるんですよ」p.75

南イタリアの白壁の民家では、主婦が毎日のように石灰を塗っているという話を思い出した。建物というのは、本来維持に手間がかかるものなのだろう。
逆に、現在のメンテナンスフリーな建物というのが異常ということか。

危険な化学物質を含む個々の新建材に対して〈造る会〉の推奨する代替品の説明があった。… 多くの素材に割高ではあるが代替品が存在する、と。
「建築費が坪五十五万円の家なら、どうしても坪六十五万円にはなってしまいます」
長谷川は木の家が高くつくことを正直に訴えた。p.100-101


また、少し触れられただけだが、ユズの商品化で活性化を目指す、高知県馬路村馬路村農協)の例が興味深い。「ごっくん馬路村」って飲んでみたいかも。