医療を刑法で裁くな(情報元:アンカテ(Uncategorizable Blog)さん)

zaw.hatenablog.com
基本的には同意できる。
慈恵医大青戸病院の3バカのような悪質な事例やカルテの改ざんなどの証拠隠滅などあった場合はともかくとして、警察が介入する前に、何らかの調査機関で調査・仲裁がなされるべきではないかと思う(航空機・鉄道事故調査委員会と似たような発想。そう言えば、航空機事故でも刑事介入に対する反対論があるな)。
医者にしても、通常は、危害を加えたくてやっているわけでもなし。

ドイツ医師会は医師職業規則を定め、2審制の医師職業裁判所を持っていて、それを審判に使っています。

ドイツでこのような制度が可能なのは、中世以来の重層的な裁判制度、村や市場の裁判所に始まり最高位に国王裁判所がある、が否定されず、ある程度温存されたのが大きいのではないか。だからこそ、このような職能的な団体が、司法の一部を保持するのに抵抗がない。通常の裁判では判断しきれない問題を、裁判所がアウトソーシングできる。
革命で王政を完全に否定し、一元的な国家を志向したフランスでは、また事情が違うと思う。
翻って、日本では、自検断という形で村落が裁判・司法機能を保持していた歴史はあるが、あくまで私的なものに終始したこと。近世の豊臣体制・幕藩体制の形成の過程で、一元的な裁判制度が構築されたことから、このような制度の構築は難しいのだろうと思う。
まあ、海難審判のような準司法的手続きが日本にも存在するわけで、このあたり根拠がはなはだ曖昧な、印象に過ぎないわけですが。


それにしても、医者と一般社会のギャップには、立場の相違が大きいと思う。
医者にとっては、多数の患者の一人であり、場合によって数字に還元できることもある。
それに対し、患者にとって、自分の体は絶対的なもので、確率の問題にはできない。いくら低い確率であっても、問題が起きてしまえば、慰めにはならない。
例えば、私の体で医療ミスが起きてしまえば、はいそうですかというわけにはいかない。
そのあたりのギャップが、想像以上に大きく、問題を悪化させているのではないか。そして、医者が反発するような、マスコミの報道へとつながるのだろうな。