マルコ・ポーロ『東方見聞録Ⅰ・Ⅱ』

完訳 東方見聞録〈1〉 (平凡社ライブラリー)

完訳 東方見聞録〈1〉 (平凡社ライブラリー)

完訳 東方見聞録〈2〉 (平凡社ライブラリー)

完訳 東方見聞録〈2〉 (平凡社ライブラリー)

割と面白かったが、歴史の史料として考えるとウーンと唸らざる得ない。
世界地図帳を横において、どこを通ったのか調べながら読んだが、一応、「マルコ・ポーロ」は、ちゃんと現地を動いたっぽい。道順はつながっているし。しかし、中国方面の過去(マルコ・ポーロの時点から)と数字についての情報はでたらめというか、間違いだらけ。
宮廷・大都に関する記述は、かなり正確だそうだが、こちらは私には全く分からない分野なのでパス。漢文が読めれば面白いのだろうな。
それに比べると、西方のジョチウルス、フレグウルス方面の過去に関する記述が意外に正確(杉山正明の『モンゴル帝国の興亡』と比べながら読む限り)。正直言って、別の著者のようだ。


この時代(13世紀末)のヨーロッパ人が、どこまでアジアの情報を入手できていたのかを考える上で、本書がけっこう有益だろう。
少なくとも、ユーラシア大陸の西半分、フレグウルスとジョチウルスに関しては、過去の歴史についても比較的正確な情報が蓄積され、情報提供者がそれを「マルコ・ポーロ」に語ったのだろう。
レヴァント地域では十字軍国家が外交を交わし、交易商人が入り込む。黒海方面でも、イタリア商人・都市国家が盛んに進出し、交易を行いことで、かなり分厚い情報の蓄積があったのだろう。
この時代には、アジアのだいぶ東のほうまで、ヨーロッパ人の知識が広がっていたのだろう。
これが、14世紀後半、15世紀にはどうなるのか、そこが16世紀につながる上で重要だろう。
15世紀半ばに、オスマントルコのコンスタンテイノープル征服で黒海が封鎖される。マムルーク朝による十字軍国家の消滅などを経て、ヨーロッパ人の地平がどう変化したのか。


訳注の愛宕松男氏は、中国史の専門家だそうで、どうも西方のことはあまり知らない様子。中国部分について、漢文史料が入手できる領域については、素晴らしい注が付されているが、西のほうになると注の内容が薄くなるのが面白い。
特に気になるのが中東地域に関わるいくつかの名詞。グルジアがジョルジアになっていたり、ネストリウス派がネストール派になっているのは、瑣末なことだが、非常に気に触ると言うか。
本書の訳注は1960年代あたりに行われたようなので、当時はそう読んでもおかしくなかったのかもしれないが。オスマン・トルコがオットマン・トルコと呼ばれたりしていたのだから。
まあ、本書を全部一人で訳注するだけでも、立派なことで、これはたんなるイチャモン。


本当に読みたかったのは一巻の解説で、本文を読んだのはもののついでだった。その割には時間がかかってしまった。
解説によると、『東方見聞録』の写本はいくつかの系統に分かれるそうだ。
で、その写本FとZでは、3割強の200章あまりが符合しないとか。ここまで来ると別の本という感じだな。


以下、ちょっと気になった記述。

チョウジが多量に産するが、その樹はゲッケイジュに似て多少それより細長い葉を持ち、ヨーロッパのチョウジにそっくりな白い花をつける。(一巻 p.409)

チョウジ(丁子)はモルッカ諸島特産のはず。「ヨーロッパのチョウジ」の記述に至ってはもっと謎。
ただし、山田憲太郎の『スパイスの歴史』(ISBN:4588050877)中の、「〈付〉スパイス・ルート:肉桂から丁香と竜脳へ」では、肉桂が丁子と似た匂い成分を持ち、特に北インドからインドシナ半島内陸部の肉桂にその性格が強いと指摘している。
マルコ・ポーロ」は肉桂(特に、シナ肉桂=カッシア)を丁子と誤解したのだろうか。


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