イブン・ジュバイル『旅行記』

旅行記 (関西大学東西学術研究所訳注シリーズ (6))

旅行記 (関西大学東西学術研究所訳注シリーズ (6))

12世紀半ばのイベリア半島在住のムスリムが、メッカ巡礼の道中を克明に記録したもの。
ルートは、船でセウタからアレクサンドリアへ。その後、ナイル川を遡上し、紅海のアイザーブ、ジッダ経由でメッカへ。メッカに8ヶ月滞在した後、イラク経由で帰国。バグダッド、モスル、アレッポ、ダマスカスを経由し、アッカから乗船。シチリアメッシーナ近海で難破し、シチリア西岸から別の船で帰国。
当然のことながら、巡礼記だけにメッカの記述が長い。儀式や施設の類が事細かに書かれている。重要な都市の聖地・モスクの記述も詳しい。が、そこには興味がない私には退屈なだけだったり… そのあたりはかなり飛ばして読んだ。地誌やイスラムの宗教儀礼に興味がある人には面白いかもしれない。あと、この時代は、十字軍国家がまだ健在だった時代だが、キリスト教徒への著者ジュバイルの敵意には辟易する。その割りに、アッカでのキリスト教式の結婚式に魅惑されて、神に誘惑されないように祈っているあたりは、正直者なのかな。
私自身の興味は、この時代の交易・イスラム世界での香料使用に関する情報が欲しかったのだが、そのあたりはあまり情報なし。市場がにぎわっている旨の記述は、あちこちの都市についてあるが、それだけではあまり意味がない。
以下は、香料・市場についてのメモ。

 われわれは、道すがら、往来する隊商の数を数えようとしたが、多くてできなかった。特にアイザーブからの隊商が多かった。彼らはインドの物資を運んでいたが、それらはヤマンに到着し、ついでヤマンからアイザーブに到着したものである。われわれが最も多く見たのは、胡椒の荷であった。あまりの多さに、土と同じくらいの値打ちしかないと思われたほどだった。この砂漠でわれわれが見たものの中で驚嘆されるべきことは、道端で、胡椒やシナモンやその他の品物に出会うことである。それらは監視人もなしに打ち捨てられ、この道に放り出されているが、それはこれらを運んでいたラクダが病気になったか、その他の理由によるのである。様々な人間が沢山通るにもかかわらず、損害も受けずに、持主が運びに戻って来るまで、安全にその場所に置かれているのである。
(p.38-39)

インド洋・地中海通行の幹線のひとつの状況を示す。香料貿易に関して、このルートが中心だったようだ。シリア方面でも隊商の交通は可能だったが、ジュバイルは、香料の貿易にかんしてはあまり言及していない。
また、後半の記事は、積荷の安全保証システムが何らかの形で機能していたことをうかがわせる。

 あらゆる所から果実がこの町にもたらされ、この町は比類なく恵まれており、果実や、有益な物資、施設、商品が最も豊富にある所である。これらの商品は、東や西から人が集まってくる巡礼の時にしか見られないとしても、その後の日々はともかく、たった一日で次ぎの様な品物が売りさばかれる。各種の宝石、鋼玉やその他諸々の貴石やアロエ、インド産の香油等あらゆる種類の香料や、これ以外にインドやエチオピアよりの舶来品、またイラクヤマンの商品、さらにホラーサーンの産物やマグリブの品々がある。この他にも、正しく数え上げられないほど多くの品物があるが、これらの品々をもし諸国に配分したとしても、そこで充分に繁盛する市がたち、全ての市に多大の利益が行き渡ることであろう。これら全ての取引は、ヤマンやその他の地域から年中もたらされる物を除いて、巡礼の大祭後8日の間に行われる。この地上にあるあらゆる商品や産物は、巡礼時のメッカに全て集まっている。
(p.98)

市場としてのメッカ。あるいは、宗教と市場の密接な関係。

彼らの中に、釣り香炉を持ったものがいた。その釣り香炉は、新鮮なアロエの薫りを放ち、アロエは絶えずその中に補給された。
(p.138)

儀礼アロエが香として使用される。

ここの遊牧民は彼らの産物である肉、バター、ミルクを巡礼者に売り渡す。人々は肉やミルク欲しさにすぐに遊牧民と交易するために携えてきた綿布と交換してそれらの品を買い込む。というのは遊牧民は綿布としか交易を行わないからである。
(p.197)

貨幣としての布。アラビア半島中央部での話。

マウシルに向かう道の右側には、大地に雲のように黒い窪地があり、そこに神は、瀝青を産出する大小の泉を湧き出させ給うた。その幾つかは、時にはあたかも沸騰しているように吹きだしている。(p.226

イラク中部の油田。スンニ派クルド人が奪い合っているもの。中世から、自噴していたものが瀝青として使用されていたようだ。

 西門の通廊には、青物、香料の店があり、果物を売る店の並びもある。
(p.265)

ダマスクスの会衆モスク内の店。

それでもなお、隊商は何の妨害もうけずフランクの土地を通って、ダマスクスからミスルまで連続して通過した。同じ様にムスリムたちはダマスクスからアッカまで(フランクの領地を通って)しばしば往来している。同様にいかなるキリスト教徒商人も、誰一人とどめられたり、妨害されるようなことはない。キリスト教徒は彼らの土地ではムスリムに課税する。それが全く申し分のない安全を与えてくれる。同様にキリスト教徒の商人はムスリムの土地で彼らの商品に対し課税される。両者の間に合意があり、全ての場合において均衡が保たれている。
(p.284)

十字軍国家とムスリム領との間の交易の状況。