スリヘル・ファン・バート『西ヨーロッパ農業発達史』

西ヨーロッパ農業発達史 (1969年) (慶応義塾経済学会経済学研究叢書〈9〉)

西ヨーロッパ農業発達史 (1969年) (慶応義塾経済学会経済学研究叢書〈9〉)

ものすごく読むのに時間がかかった。3週間近くかかったような。
それだけの内容がある書物。1960年代と発表されたのがけっこう昔のため、部分的な修正・研究の進展はあるだろうが、基本的な骨子は修正されていない(はず)。
低地地方に関しては、生産性の問題などの研究は進展しているが、現状ではあまり興味がないのでパス。新しいところでは、B.J.P.van bavel and E.ThoenのLand Produbtivity and agro-systems in the North Sea area[middle age-20th century]:Elements for comparison(ISBN:2503509622)なんてのがあるようだ。


本書を読んで、感じたこと。
まず、農業生産にとどまらず、物質生活(食だけでなく、衣住や各種の道具類)や心性に関する知識がなければ、結局、農業についての問題を解けないのではないだろうか。特に中世前期から盛期には、生活物資の市場・流通への依存は相対的に少なく、より自給的な生活を送っていただろう。中世後期から近世にかけて顕著になる農村工業も、家計内の自給的な、あるいは非組織的な織物生産から発しているのだろうと考えられる(このあたりはジェーン・シュナイダー編『布と人間』ISBN:4810703983いと)。少なくとも、穀物生産に過度に集中してしまっては、分からない部分が多いのではないか。
第二に、収量の発展は、本書が対象にする13世紀から19世紀にかけて、総体としてみれば、起こっていないのではないかということ。合成肥料出現以前には、収量の増加は、外部からの肥料(糞尿やゴミ)を投入する、あるいは休閑期間を長く取ることでしか達成されない。そして、外部からの肥料の入手には、資金が必要である。例外的に、市場向けの高い収益が期待できる経営では、資本を投入して、外部からの肥料購入を行っただろう。しかし、大半の経営は、特に一般の中小規模の経営は、そこまで投資する動機がなかろう。むしろ、投入する資金を減らす方向に動いたのではないだろうか。
これに関連して、ベネルクス地域では都市の人糞尿を肥料として購入・利用するということが、日本と同様に行われていた。では、糞尿や汚水の処理に悩んでいたパリでは、それらの肥料としての利用が行われなかったのかが、不思議でしょうがない。肥料として資源になっていれば、パリは汚物都市なんて異名を取らなくてすんだと思うのだが。


ポルトの『中世のパン』(→http://d.hatena.ne.jp/taron/20061018#p1)との議論の差について。
本書では、パン用穀物について、ライ麦の重要性を指摘する。一般民衆に関しては、大半がライ麦パンを食べていたと著者は理解している。それに対し、デポルトは、大半が小麦だったとの主張を展開する。
これについては、依拠する情報源の違い。すなわち、スリヘル・ファン・バートは農業生産に占めるライ麦の割合。デポルトは都市のパン生産についての文書からある程度は説明できる。しかし、デポルトの小麦重視はどうも怪しい。何らかのバイアスがかかっているのではと疑わざるをえない。


あまり関連がないが、参考に:
滝川勉「東アジア農業における地力再生産を考える:糞尿利用の歴史的考察」『アジア経済』から)