北原糸子編『日本災害史』

日本災害史

日本災害史

災害の歴史を、災害対策(主に治水)がどのように組織されたか、復興の時代ごとの特色、情報の伝達などに焦点を合わせて書かれた通史。歴史学者がこの分野に貢献するには、確かにこのスタイルが向いているだろう。災害の自然科学的な分析については、当該分野の専門家が、過去の歴史についても有利なことは変わらない。中世の後半や戦後については、穴があるが、全体をカバーしたものは類書がなく、貴重。本書の参考文献から、この分野について、さらに学ぶことができるだろう。
また、阪神大震災に一章を割いた英断が素晴らしい。と同時に、10年経つと歴史になるかという感慨も。


ちょっと気になったのは、近世・近代部を書いた北原氏の分析の枠組みの問題。近世について「封建時代」の語を使っているが、お触書を通じて生活の細かい部分まで介入したと書いている。しかし、これは、少々、時代遅れというか、昔の教科書風というか、なんか使い方がおかしいのではないかと思う。江戸幕府の統治体制は、厳密な意味での「封建制」とは言い難い。マルクス主義的な意味での「封建制」を念頭に置いているのなら、それはもう枠組みとして不適当である。また、お触書にしても、統治者側の道徳的アプローチが、実際に民衆の生活に介入できたかについては、疑念がある。災害の復興・情報の流通というアプローチが興味深いだけに、余計気になった。


災害からの精神的再建について、もう少し掘り下げて欲しかったように思う。特に近代。前近代には、祭祀・宗教を通じた、霊的秩序・コスモロジー的な秩序の再建が、同時に個々の人々の精神的再建になりえた。しかし、近代的な、科学的な世界観が普及してしまうと、そのような形での、精神的再建は不可能になる。
本書で扱われている阪神大震災でも、PTSD対策がクローズアップされている。近現代において、個々人の精神的再建はどのように行われたのか、どのように行われうるか。それは、今後の災害対策の重要な課題であり、そのような側面を追求することは現在的な価値を持つのではないだろうか。編者の北原氏を槍玉に挙げる意図はないのだが、ここでも近世については比較的精神的側面が扱われているのに対し、近代については制度が焦点になっていて、対照的に感じた。