半藤一利『ノモンハンの夏』

ノモンハンの夏

ノモンハンの夏

 『失敗の本質』→『ノモンハン戦車戦』と来て、三冊目。全体を知るにはちょうどいい本かなと思って借りてみた。
 辻・服部以下、参謀本部関東軍上層部の指揮のグダグダぶりへの怒りが吹き出るようだった。また、三国同盟やドイツとソ連の不可侵条約との関係など、国際的情勢とリンクして記されているのが、非常に興味深かった。
 しかし、本書を読むと、ノモンハンの戦いは負けるべくして負けたと感じる。ソ連側が、ヨーロッパ情勢を睨んで、極東方面での日本軍の動きを封じるべく明確な目標が政治的指導者によって設定され、かつそれに必要な情報・資材が供給された。それに対し、日本側は、具体的な戦略もなく、政治指導部の不拡大方針にもかかわらず、現地指導部が、統制から逸脱・暴走し、参謀本部もあいまいな作戦指導に終始した。かつ、ソ連軍の動向への情報収集もいい加減、かつ重要情報を無視する。これでは、勝てるわけないだろう。
 あと、小松原・荻州以下の、指揮官の敗戦後の言動もひどい。


続いて読む予定は、
ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム実行委員会編『ノモンハン・ハルハ河戦争:国際学術シンポジウム全記録』原書房 1992
アルヴィン・D・クックス『ノモンハン1〜4』朝日新聞社 1994


参照リンク:
書籍の紹介
最近出版される書籍・雑誌で「情報公開によりソ連側のノモンハンでの損害の実体が云々」という文章をよく見かけますが、この公開されたソ連側の資料は何という名前なのでしょうか。また入手が可能なのでしょうか。


以下、メモ。

 軍事史家の前原透氏が、実に微妙なところを調べあげ書いている。日露戦後、参謀本部で戦史が編纂されることになったとき、高級指揮官の少なからぬものがあるまじき指摘をしたという。
 「日本兵は戦争において実はあまり精神力が強くない特性を持っている。しかし、このことを戦史に残すことは弊害がある。ゆえに戦史はきれい事のもをしるし、精神力の強かった面を強調し、その事を将来軍隊教育にあって強く要求することが肝要である」
(p.198)

→前原透『日本陸軍用兵思想史』天狼書店 1994

 作家の稲垣武氏が調べた第二飛行集団記録「ノモンハン航空偵察状況」の報告がある。その六月二十八日〜七月二十五日の項に、
 「集団ハ一部ヲ以テ主トシテ『ハルハ」河左岸ノ敵後方及ビ右岸ノ敵情ヲ、主力ヲ以テ航空情報ヲ捜索ス」
とあるという。主力をつぎこんだ「航空情報捜索」とは、敵飛行場の偵察である。また日付の「〜七月二十五日」には驚かされる。いよいよノモンハンでの勝敗をかけた砲兵戦というのに、偵察機はほとんどコマツ台地上空へ飛んでいかなかったのか。
(p.230)

稲垣武「情報を“無視”したノモンハン事件」近代戦史研究会編『情報戦の敗北』PHP研究所
この時の対砲兵戦では、ソ連側史料ではかなり戦果を上げていて、当時配備されていたソ連側の砲は壊滅状態だったという話もあるそうだが…

稲垣武氏の調査によれば「関東軍情報参謀だった加藤義秀中佐の回想によると、ソ連軍が大規模な自動車輸送をやっていることもつかんでいたが、作戦担当者はソ連軍の大規模攻勢の可能性ありという情報に注意を払わなかった」という。
(p.273)