佐々木高明『照葉樹林文化の道』

 11月の頭にあった、県立図書館の「よかよか本まつり」でもらってきた本。
 1982年出版と少々古いので、遺伝子分析などの新しい方法が反映されていなかったり、ベトナム戦争の影響かベトナム周辺の調査がほとんどなされていないなどの、時代的制約があるがなかなか良い本だと思う。?の「照葉樹林文化の形成」は元となる考古学的データが不足しているため、あまり説得力があるものになっていないが、?「照葉樹林文化の民族文化誌」は著者のフィールドワークの成果が生きて非常に面白い。各種の文化が照葉樹林地域で普及している事がよく分かる。
 本書では、文化の発展段階として1プレ農耕段階(採集・半栽培)、2雑穀を主とした焼畑段階、3稲作ドミナント段階の3つの段階を設定する。しかし、『ジャガイモとインカ帝国』(ISBN:4130633201)などを読むと、採集から半栽培、そして農耕までの間には、広大なグレーゾーンが広がっている。あまり、このような「段階」を設定することは、意味がないのではないか、むしろ見方を狭めてしまうのではないかと懸念する。
 本書では、稲作の起源をアッサム・雲南地域としている。このあたりの問題については、遺伝子分析の技術の導入も含めて、いろいろな説や問題があるようだが、この本の文脈ではアッサム・雲南説はそれなりに合理的ではあるのだろう。特に東南アジア内陸部への水稲の伝播を考えると。ただ、本書でも雑穀はインド地域で栽培化されイモ類は東南アジア地域の熱帯モンスーン地域で栽培化され、照葉樹林地域に導入されたと考えている。稲だけがこの地域で栽培化されたというのは腑に落ちない所がある。また、稲の栽培の起源を考えるときには、稲そのものの栽培化、ジャポニカとインディカの分化、ジャポニカ水稲の起源などいろいろなレイヤーで考える必要があり、複雑だなと思った。
 あと、水田農耕の起源に関しては、「原初的天水田」が恒常的な水田になるには、どんなインセンティブが働いたのかに興味がある。単純に生存の問題で考えるなら、水利の問題や水田の底を水平にするなど、恒常的な水田にはコストがかかりすぎるのではないかと常々思っている。水田稲作の推進には、それとは別の次元の何かが必要なのではないか。そこで「米の霊性」そして、政治的統合や宗教的統合の問題が出てくるのではないかなどと妄想しているのだが…