山中進編『山間地集落の維持と再生』

山間地集落の維持と再生 (熊本大学政創研叢書 3)

山間地集落の維持と再生 (熊本大学政創研叢書 3)

熊本県内の芦北町東部の山間集落をフィールドに、さまざまな角度から調査し、中山間地集落の振興へのヒントを探ろうとしたもの。
県立図書館の新収蔵書のところにあったので借りてきたもの。この前に、『山間地域の崩壊と存続』(九州大学出版会 2005年刊)があるらしい。


 山中進地域資源と小さな産業づくり」(第一章)
 大野温泉センターの前現館長へのインタビューと大野地区・大岩地区の集落の実地調査を元に、この地域で商品流通経路に乗りにくい小規模かつ多様な作物・加工品が存在すること。それを直売所などを通じて流通経路に乗せることが、地域の活性化にある程度有用であることが指摘される。
 確かに、普通に規模で勝負するのは条件的に無理だろうから、小さく勝負するのは理に適っていると思う。単純な原料生産では収益が望めるものではないから、加工・流通まで一貫してやるべきだろう。そのための資本をどこからちょっぱって来るかが問題だろう。


 山中進「地域の再生:暮らしの絆づくり」(第二章)
 大河内山彦会を題材にインタビュー主体で書かれている。確かに意義のある活動だが、地域的な広がりに欠けるのが泣き所か。住民の高齢化と共に、活動が衰退していきそうな。ここから人の流れなどをどう変えていくかが問題だろう。


 上野眞也「農村集落のソーシャルキャピタル」(第三章) 
 ソーシャルキャピタルの理論的考察から、近隣関係などの強い紐帯の強化ではなく、趣味やスポーツなどのクラブ活動やボランティアなどの薄く弱い紐帯が、ある集団が社会の変化へ適応する上で重要であることを指摘する。この議論そのものには、特に異議はない。ただ、農村コミュニティを「強い結合、閉鎖的社会の代表」ととらえる考え方には異論がある。むしろ、近代化の過程で、ソーシャルキャピタルを失い、閉鎖的社会へと変化したと考えるべきではないだろうか。歴史・民俗などの本を読む限りは、それこそ50年ほど前までは、むしろ意外に広い範囲で人が動いていたことが看取される。地方行政・政治がらみで集落の役つきのひとは地域全域との人的関係を持ち、またモータリゼーションの前には、行商人など、外部から商品を持ち込む人と地域の産品を運び出す人のかなり厚い層があった。そこも考えに入れる必要があるのではないだろうか。


 柿本竜治「中山間地域における生活交通行動の現状と課題」(第四章) 
 この地域の移動について、アクティビティダイアリー調査に基づいて、公共交通機関が機能していないこと、人の移動には自家用車とそれによる送迎が主要な手段になっていることを明らかにする。対応策については、過疎地域有償運送や複合型DRTなどが紹介され、住民と行政・住民同士の共助システムが必要とする。また目的地のコンパクト化による交通費用の抑制が、人口減少社会においては必要であると指摘。


 鈴木康夫「土地利用からみた中山間地域の条件不利性」(第五章) 
 衛星画像や過去の地形図や各種統計から、岩屋地区の土地利用や社会の変遷を明らかにしている。
 1952年発行の地形図と1968年の地形図で、広葉樹の記号が消え針葉樹が増えているのに注目。この時期までは、雑木林が広く存在し、その後伐採・拡大造林が行なわれたわけだが、実のところ拡大造林の推進そのものが、山間地域の経済崩壊の結果だったのではないかと思う。バイオマスから化石燃料への転換の時点で、産地経済の背骨は折られていて、拡大造林はその対応だったのではないかと最近感じる。
 また、図11の芦北町における農家階層の変化が興味深い。農家数が全体で減っているが、1.5ヘクタール以下、特に0.3から1ヘクタールの規模の農家の現象が著しい。それ以上の大規模農家は減っていない。また、0.3ヘクタール以下の減り方が相対的に少ないのも興味深い。ただ、山間地では農業以外の収入、林業・流通などの収入が、高度成長以前には大きかったはずで、その部分が見えてこない。
 あと、興味深かったのは、銅山(かなやま)集落の鉱山記号。益城の山中にも金山という地名があるが、前近代にはあちこちにこのような小規模な鉱山があったのだろう。