安藤優一郎『大名屋敷の謎』

大名屋敷の謎 (集英社新書)

大名屋敷の謎 (集英社新書)

 尾張藩の御用達を勤めた新宿区の中村家の文書から、当時の大名屋敷と近郊村落との関係を描く。著者はカルチャーセンターなどでいっぺん向けの講座を手がけているためか、非常にこなれた文章。
 第一、二章は全体の導入。第一章では江戸の大名屋敷がどんなところか、そこでの生活が手際よく語られる。門限の話がおもしろい。門限破りの罰則は厳しいが、内部で示し合わせて、運用はゆるゆるだったとか、今でもありそうな話だ。第二章は、大名屋敷が外部からどのようなサービスを購入したのか、まとめている。調度、衣服、武具などの技術を必要とする製品や遠隔地から入ってくる食物などは、江戸町内の「御用達商人」から購入し、土仕事や下肥、飼料の調達などの役務は近隣村落の有力者から購入していた。この章では、和菓子の納入についての記述にページが割かれている。幕府のレベルになると、贈答や儀式用の和菓子だけでも相当量が必要になり、それだけに大きな産業になる。69ページの諸家出入りの表に「一橋徳川家屋敷に出頭し、納入品の御膳と三河餅の不調法お詫び」とあるのが、今も昔も食品産業には不祥事が絶えないものなのだなと感じた。
 以下、第三から五章が、中村家と尾張家についての話。主に、大名屋敷から出る下肥の汲取りを軸に展開する。両者の綱引き、御用達参入を巡る争い、維新後に軍隊に食い込んでしたたかに生き残っていくさまなど、なかなかおもしろい。残念なのは、資料が残らなかったためだと思うが裏での人間関係や取引が良く分からないこと。コミッションビジネスとは言っても、尾張家中への儀礼的贈答やサービス、影響下の一般村民へのどのような関係があったから、取引相手として選ばれたのだろうか。
 あと、気になるのは「豪農」という言い方。中村家だけでなく、他の藩の御用聞も含めて彼らは「豪農」ではなく、「名望家」あるいは「名主層」と呼ぶべきではないだろうか。前近代(あるいは高度成長期直前まで)の人々の生業を見ると、複合的な生業で生活していた。農民・漁民あるいは畑作・稲作といった「職業」で分けるのは有効ではなく、居住地域のリソースや条件によって比重を変えていたと考える方が、適切な分析ができるのではないかと感じる。その点で、「御用聞としての活動はサイドビジネス(p.187)」や「その頃の持ち高は十石ほど。米十石が収穫できるほどの農地を所持しているということである(p.94)」などの記述は疑問を感じる。特に後者の「持ち高十石」は課税対象としての評価が十石以上の意味はない。「中村家文書」を検討しないと、どのような家か判然としないだろうが、稲作が家計に占める割合は相当に低かったことが想像できる。この家の主な生業が、少なくとも19世紀には、御用聞を中心とする仲介業だったとして良いのではないだろうか。