奥村房夫監修・桑田悦編集『近代日本戦争史第一編:日清・日露戦争』

近代日本戦争史〈全4巻〉

近代日本戦争史〈全4巻〉

 陸軍の士官学校出身者の団体が出版した書物。それだけに全体として、陸軍側の視点に偏っている。海軍の記述が薄い。


 序文が酷い。
 「刊行にあたって」を瀬島龍三が、「はじめに」を奥村房夫が書いている。しかし、

 正確を期せば期すほど、事実を掘り下げて記述すればすればする程、それは、旧軍の立場からすれば、日本をこのようにリードし、敗戦に追い込み、国民に惨苦を強いて、自らも崩壊することになった軍の責任と反省の書となります。実にこの史書そのものは、旧日本軍の懺悔録といってもよいものであろうかと思えるほどのものなのであります。

って、いろいろ喋らないまま死んだ人間が白々しい。もっと酷いのが、次の奥村房夫の文章。

 また、大東亜戦争を「侵略戦争」というものがある。「侵略戦争」の定義については、東京裁判の判決文によれば、その要素は次の二点である。
  ・挑発されない戦争
  ・動機が占拠である戦争
 しかし、大東亜戦争開戦前の日本は、いわゆるABCD諸国から猛烈な経済制裁を受けていた。日本の指導者は、「挑発されている」と痛感していたのではないだろうか。東条大将の遺書には、次のようにある。
   「大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ」
 「動機」について言えば、いわゆる「南方」各地は連合諸国によって「占拠」されていて、各国軍がその地に展開していたので攻撃したのであり、その本来の動機は、「占拠」ではなくて、後に逐次実行したように「解放」であったのである。

 もう一から十までだめだめ。だいたいABCD包囲網自体が満州事変以来の外交の敗北の結果であり、それを無視して経済制裁が挑発であるというのは、歴史観の欠如と言っていい。また、東南アジアへの侵攻についても、資源の確保が目的であり、「解放」などというものがどこにあったのか。しかし、この文章でちょっとおもしろいのは、大東亜戦争=太平洋戦争という用語の使い方。日中戦争が視野に入っていないのか、そっちに触れたくないのか…


 このような序文から、本書の内容について不安を抱いたが、本書についてはなかなかまともな様子。まあ、日清戦争日露戦争歴史的評価が定まっているから、そのあたりはやりやすかったのだろう。第3編の『満州事変・支那事変』、第4編『大東亜戦争』あたりは、書名からして政治的立場が表現されている。「支那事変」という用語を使っている時点でダメポな感じ。
 内容については、実は詳しく憶えていない。というか、必要な時に参照すべき文献というか。軍制の展開、作戦構想、補給、外交まで目配りしてあるのは流石。しかし、著者によって出来に差があり、稲垣武日清戦争前後の世論の推移」やマイケル・ハワード「ヨーロッパ諸国より見た日露戦争」はがっかりな出来。あと、防大関係者の文献の扱いなどが、他とちがうような。