日本では共同体も崩壊してね?

不可解な日本の世論(すなふきんの雑感日記)
「不可解な世論」について考えてみる(Baatarismの溜息通信)
共同体の問題?(Living, Loving, Thinking)


 日本の「共同体」というのは、現状ほとんど消滅していると思う。旧来の村落共同体・町共同体は、高度成長期の人口移動で1980年代までには影響力を喪失している(形は残っているが、今やその政治的・社会的影響力は極限られている。その証左が2005年の衆議院選挙)。また、都市の側も急激な新人口の流入で共同体を形成することは出来ていない。戦後の一時期、このような旧来の共同体消滅の穴を埋める形で、一部の大企業が擬似的な共同体を形成したが(社宅というのがまたそれらしい)、これもバブル以降の不況で一気に瓦解した。この結果、日本人のかなりの部分は、共同体あるいはそれに類似した人間関係を失い、孤立状態にあるように思う。
 また、この共同体の瓦解は、それまで村落共同体をパートナーとして動いてきた国家の「近代的諸制度」の機能不全をも引き起こしている。治安にしろ、教育にしろ、福祉にしろ、政治的な調整にしろ、近代日本国家は、近世からの村落共同体の存在を前提とし、それに依存して展開してきた。「近代化」の建前は、「近世」が存在したからこそ維持しえた。そのようなシステムが、パートナーの崩壊で一気にバランスを崩した。現在の日本という国は、それらを円滑に運用していくのが難しくなっている(朝令暮改の「教育改革」)。
 現在の日本はそのような状況なのではないか。


 市場史とか経済人類学的な立場から考えると(一知半解ではあるが)、むしろ「市場」は共同体の下支えがあってこそ安定して駆動するのではなかろうか。先進国ではどこでも人間のつながりが切れ気味だが、それでもアメリカやヨーロッパではコミュニティ活動、宗教活動、慈善活動その他によってある程度、政治的調整が機能しているように見える。そして、そのような政治的調整が失われれば、市場は特定者の道具に堕する。
 日本では、そのような政治的調整の麻痺が問題なのでは? だからこそ、市場も、セーフティネット(制度)も、信用できない。これは、日本社会の破綻によって、人々が寄る辺ない状況に陥っていることを端的に示している。それが、日本人が市場も国家も信用しないという世論調査に現れている。


 今のところ勉強不足だが、イギリスの工業化の外圧の元、近代化を進める必要があったドイツ、フランスあたりは、すでに現在の日本が直面している状況を経験しているのではないか。だからこそ、今の時代にヨーロッパの研究は有効ではないかと思う。例えば、農村の過疎化といった問題は、ヨーロッパではすでにずいぶん前から問題になっているように思う。