中牧弘允『会社のカミ・ホトケ:経営と宗教の人類学』途中断念

会社のカミ・ホトケ (講談社選書メチエ)

会社のカミ・ホトケ (講談社選書メチエ)

 バタバタしているうちになんか読書モードが解除されてしまったので、一旦返却。これは改めてメモを取りながら読んだほうが良さそうだ。
 内容は表題のごとく、会社における宗教・儀礼の意義についての話。終身雇用の時代、1950年代から1990年あたりにかけての時代の企業を「会社共同体」と理解し、その共同体の中で宗教・儀礼の役割を整理している。ビルの屋上にあるような企業関係の神社、高野山比叡山にある「会社墓」について、通過儀礼としての入社式の章まで読んだ。
 しかし、このような高度成長期の共同体システムは、90年代後半以降のリストラの時代には崩壊しているだろうな。
 本書では、会社共同体を「社縁共同体」とし、「社縁のルーツは江戸時代の組、講、連、社、流、派などにもとめることができる」(p.39)としているが、個人的にはむしろ近世の「村落共同体」の方が近いのではないかとも思える。社宅を作って集住し、各種の祭祀・儀礼を行なう集団という点では、近世村落の方が、平等的要素の強い結社の類よりも近いのではないだろうか。
 あと、会社墓の存在が面白い。大半が高野山にあるそうで、今までそんなものがあるとは知りもしなかった。あとは、企業と神の関係も興味深い。


ちょっと気になったこと。

 埼玉県秩父市武甲山のふもとに1923年に秩父セメント(現、太平洋セメント)が創立された。武甲山はセメントの材料となる石灰岩を産出したからである。会社神社は1936年に建立された。それは『孟子』の「無恒産者無恒心」(恒産無き者は恒心なし)からとった経営理念にちなんで有恒社と名づけられた。
……
 時間的に見ると、明治時代に建立された有恒神社には、いかにも明治の雰囲気がただよっている。まず皇室の神をまつり、日本神話の神を勧請している。つぎに漢学の素養が「有恒」にあらわれている。そして例大祭は明治時代の天長節、すなわち11月3日(現在の文化の日、旧明治節)におこなわれている。(p.23-4)

細かいところだが、会社の設立が大正で、1936年は昭和11年226事件が発生した年。明治はずいぶん前。だんだん第二次世界大戦に向けてきな臭くなっていく時代。むしろ「時局」柄という印象が。