言論・表現への法規制に抗するために

d.hatena.ne.jp
 そもそも、この手の「鬼畜ゲー」あるいは「陵辱ゲー」を「構造的な人権侵害」「性差別」と結びつける論法そのものが、はずしているのではないだろうか。
 確かにレイパーを「元気な人」と評する人間や法廷・司直の問題を性差別、人権侵害ととらえることに異存はない。しかし、この手のポルノに関しては、性差別とつなげてしまうのは重要な誤りではないだろうか。なんとなれば、このジャンルは「レイプが悪である」という倫理的、法的コードに依存して存在しているのだから。このジャンルがそれを消費する人間からも「鬼畜」と称され、センセーショナルな描き方をするのも、それが所以である。
 中近世ヨーロッパのカーニバルでは、非日常の場で日常の身分や道徳の秩序を転倒させ、それによって逆に日常の秩序を安定させる。同様に、「鬼畜ゲー」ではフィクションと言う非日常の場で、「悪」に身を浸し、背徳感を楽しむ。それによって、むしろ日常の道徳意識を回復しているのではないだろうか。むしろ、そのようなフィクションと縁が薄い人間のほうが、レイプに寛容に感じるのだが。
 ついでに言えば、今回の「レイプレイ」に発する規制問題は、「構造的な性差別」に敏感で理解ある層を、性差別の問題から引き離す逆効果のほうが大きいのではないかなと思うのだが…