抑圧の網の目

「バージンロード」のテロリスト達――「夢はお嫁さん」が日本を滅ぼす
リアル去勢したオイラが性暴力がらみをとりとめもなく語ってみるよ
懲罰としての去勢
だからずーーーーっと言ってたでしょ、俺は。
と読んで考えたこと。


一番最後の記事のMarceさんのコメント

まぁ、僕はAIR以降の鍵を原則認めていないので批判は大歓迎……つ−、冗談は兎も角として、「ロマンチックラブストーリー」や「家父長制度」を批判するフェミニスト、というのも最早時代遅れだと思います。別にクラナド無罪を主張したいわけではありませんけど、そもそも現在のネオリベ的な世界観では、もはや家父長制度というのは一種のパロディとか、ある種のファンタジーとしてか機能していないわけで、原則的には「他人の性癖にケチをつける」以上の議論には発展しないと思うんですけどね。もはや家父長制度は、ある種の階級だけが選び取ることが出来る、一種のオプションでしかない。そこらへんの労働と階級とセクシャリティの交錯を見て取れない時点で、コイツらはフェミニストとしては既に終わっています。

というのが、今回のレイプレイ騒動の問題点だと思う。社会に張り巡らされた複雑な抑圧の網を無視して、「家父長制」あるいは「女性蔑視」という視点だけで世の中を断罪しようとするから、新たな抑圧しかうまない。そもそも現在の社会だけでなく、過去の人間社会も複雑な抑圧関係、あるいは「制度」を作り上げていたはずで、「家父長制」というタームは人間の歴史を通じてファンタジー以外のなのものでもない。歴史学での「発展段階論」みたいなもの。
 「社会的に去勢」された男性である私(冗談ではなく今となっては裸の女性を前にしても立たないかもしれない)からすれば、肉食系女子でもなんでも自由にしてください。しかし、絵画ないしは文章の創作物ポルノはほっといて下さい。迷惑かけないから自由にさせて。あたりが本音だったりするのかもな。

もちろん、逆の仕組みで男のわかってないことも沢山ある。わたしはweb上にあるエロ表現とかがすごく辛い。これは人にもよるし、全然平気な女もむしろ好きな女もいるだろうけれど、ああいうのがいかに暴力的に突き刺さるか、ほとんどの男は知らないんだなー、って思う。「イヤなら見るな」ってのはその通りで、だから見ないけれど、普通に生きてたら視界に入ることもあって、憂鬱になる。でもまぁ、それを規制することによる問題の方が大きいと思うし、頑張っている。(「リアル去勢したオイラが性暴力がらみをとりとめもなく語ってみるよ」から)

そういうところには、なるべく配慮したいし。何らかの工夫は必要なのだと思う。
実際、不十分でも配慮の意識はある。商業レベルでは直接は見えにくいようにはしてあると思う。ネット上でも工夫されていくとは思う。今でもほとんど役にはたっていないが、一応18禁注意ぐらいは書いてあるし。


 実際のところ、APP研の活動って、存在意義のなくなった運動の継続のために、保守主義純潔教育と結託したようにしか見えない。一番上の記事「「バージンロード」のテロリスト達」にあるように「下方平準化によって、男女平等が実現された」状況では、社会的に存在意義のない活動としか思えない。
 あと、APP研のサイト見て興味深いのはポルノ関係はいろいろと書かれているけど、二枚看板の一つ買春問題の記述がほとんどないこと。強いところにはケンカ売りたくないのかと邪推していしまう。


ここの記述も興味深い。

というか、日本の女性映画を日本の女性抑圧の反映とみる読み方は結構普通に欧米の映画批評では通じるようですよ。「映画技法のリテラシーII」第十章「イデオロギー」p155「フェミニズム」の一節を引用します。
“ 日本には昔から、きわめて一般化した家族制度の孕む不公平を軸にして、特徴的な展開を見せる女性映画の伝統があった。(中略)大学人口の女性の占める割合はニ〇パーセントぐらいにすぎず、雇用においてはいまだに差別されている。職場では女性は重要視されない。女性はより高い管理職の地位につくことはほとんどない。日本での離婚率はいまだにアメリカの離婚率の一八分の一ぐらいである。一部の理由としては、年配女性がそれ相当の生活費を稼ぐのは事実上不可能だということを承知しているからである。現在の日本では、多くの女性が進歩しているが、それでもなお、西洋の女性たちと比べると抑圧された状態にある”
元が70年代に書かれた本なので日本の現状認識としてはだいぶ古いんですが、こういう批評がある、こういう風に日本は見られてる、ということは知っておいたほうがいい。
それってアジアの虐げられた女性の解放を議論する俺達欧米男性ってオリエンタリズムに酔ってるだけなんじゃねーの、とチラリと思わないわけではないのですが、しかし、一定の理は認めないといけないと俺は思います。一部のアナクロな感覚のアホ議員が平気で「男女共同参画推進は離婚促進法だ」とか後進的なこと言ってるのは、こういう物の見方を強化してるようなもんです。

そのような映画で描かれる世界って、実は歴史的にはごく最近形成されたようにも思える。例えば、歴史人口学の成果をみると、江戸時代の庶民は結構離婚が普通に行なわれている。網野善彦が指摘するように、伝統的に女性は動産への権利を維持してきた。「近代」の家族観その点では歴史の浅い存在であると思う。武家社会の家族観が社会全体に拡大適応された側面も強いのだろう。
「年配女性がそれ相当の生活費を稼ぐのは事実上不可能」というのは、実際には戦後の事象ではないかとも思える。「年配」とか「階層」とかの具体像が不明なので、細かいところでは難しいが。