青木宏一郎『江戸時代の自然:外国人が見た日本の植物と風景』

江戸時代の自然―外国人が見た日本の植物と風景

江戸時代の自然―外国人が見た日本の植物と風景

 ケンペル、ツュンベリー、シーボルト、フォーチュンと江戸時代の各時期に日本を訪れた外国人の記述をもとに、江戸時代の植物・環境を描き出す本。ヨーロッパから来た博物学者がどのようなところに興味を持って見ていたのかが、簡単に読める点ではいい本。


 ただ、いくつか点で非常に疑問というか、問題点が。
 まず、第一に、本の題からしてちょっと考え込んでしまう。「江戸時代の自然」というタイトルであるが、「自然」とはなんだろう。自然/人工の境目がどう考えるべきか。そのあたりで考え込んでしまう。これが「環境」や「景観」だったら、人文景観も込みだから考え込むこともなかったのだろうけれど。ことに彼ら日本についての本を著した人々が長崎から江戸お稠密に開発された地域あるいは江戸周辺と、特に「人工的」な環境の地域を動いているだけにそのあたりの違和感が強い。石を多用する文明であるヨーロッパ人は、植物素材を多用する日本の近世の景観が、非常に「自然」的な景観と意識されたのかもしれないが。
 もうひとつは、第一章のケンペルと芭蕉旅行記を比較したくだり。なんでわざわざ関係なさそうな芭蕉を利用したかが疑問。文学的紀行文と比較するならヨーロッパ側での文学に重きを置いた紀行文を、自然科学の観察に対してはそれに近い分野を充てるべきでは。農学系の著者だけに、微妙に史料の基盤が狭い印象。探せば有名無名適切な書物はありそうに思うし、なければ無理に比較する必要はなかったのではないかと思う。現代の植物学はヨーロッパの学問の末裔だけにヨーロッパ人の著作の方が理解しやすいのかもしれないが、比較をするなら本草学や物産学、農書など自然を扱う分野の著作を利用すべきだったのではないだろうか。


 逆に興味深かった点。
 まず第一は、街道を清掃維持することが、それに接する農民たちにとって利益になったと言うケンペルの観察。公的な奉仕に対する反対給付。肥料や焚付として、利用されたそうだ。

 当時の道路管理は百姓にとってボランティアではなく、大変利益になったらしく、
 「欲得ずくで不潔なものを利用する」
 と、ケンペルは書いている。まず、道路の清掃は毎日落ちてくる松葉や松かさなど焚物として利用され、薪の不足を補う。
 ところかまわず落とされる汚い馬糞は、百姓の子どもが馬のすぐ後を追いかけ、まだぬくもりがあるうちにかき集め、自分の畑に運んでいく。すり切れ捨てられた人馬の草履なども拾い集められ、ゴミとともに焼かれ、灰(カリ肥料)とされる。
 (中略)
 そういったトイレも百姓が自費でつくっていた。現代なら有料トイレでもつくって儲けそうなものだが、実は逆で、旅行者にできるだけ自分のところのトイレを使ってほしかったのである。当時の旅人の糞尿は大切な肥料であり、少しでも多く集めて、前述の灰などと混ぜ合わせて肥料にしていたのである。 
p.20-21

ここの部分は、街道関連の廃棄物がどのように利用されていたかを具体的に示していて、興味深い。少し離れた集落では、助郷などの負担が大きな問題になってくる。しかし、街道に隣接する集落では、むしろ街道の整備を請け負うことが利権だったようだ。このあたりは、知らなかったので、興味深い。
 他には、第一章の第二節「元禄時代の自然観」、第二章の第三節「農業と土地利用」に関しては、それぞれ江戸初期の庭園の発展と山野の雑草の肥料としての利用とそれをめぐる争論についてとりあげているが、ここは著者のなかで消化された内容を書いていて、読みやすかった。