深井甚三『江戸の旅人たち』

江戸の旅人たち (歴史文化ライブラリー)

江戸の旅人たち (歴史文化ライブラリー)

 江戸時代の旅を多方面から描いている。遊山の旅だけではなく、商用や移住・出稼ぎなど旅行。儀礼や服装、食事、女性の旅、旅と儀礼、武士への作法などなど。山ほど、関連の史料残っているのは分かった。
 参勤交代などの行列に対しての細かいランク付けが興味深い。
 少々気になったのは、近世社会への見方が古いこと。なんというか、そのまま「貧農史観」なのはどうなのだろうか。「定着性の高い社会」というのはそれほど存在しないのではないだろうか。先日の香月洋一郎著の『景観のなかの暮らし』で指摘されているように、景観的には連続していても、その中身の人間は意外なほど流動している。これは、人別帳などを利用した歴史人口学的な研究からも明らかだろう。
個人的興味に引き付ければ、42ページに紹介されている1818年の尾道の宿泊願いが興味深い。『新修尾道市史』4所収のようだ。ここでは、各種行商人の中に、播磨池田からの植木商2人、岡山からの朝顔商が1人、他に倉敷からの小鳥売買が1人とある。特に、朝顔が三都以外の諸都市にも広まり、そこからさらに地方へ行商に出るほど、各地で需要が高まっていたということで、近世の朝顔栽培の広がりを示している。

 このような、労働に対する適正な賃銭支払いのうえにさらに与えられる心付けは、使用者と使用人・労働者間の人間関係の潤滑油として機能させられたのである。しかし、基本的には近世の日本社会ではこの両者が主従的な関係にたつ雇用のあり方のために生じたものではなかろうか。本来、主従関係にない第三者間の雇用では、対等な人間関係に基づいた適正な賃金支払いだけで済むはずである。
p.143-4

個人的には、逆なんじゃないのかと思う。主従関係にない、対等な者どうしの関係だからこそ、贈与を行なう必要があるのではないか。あるいは、この贈与を行なうことによって、使用者たる優位を確立する必要があるというべきか。
主従関係にあるなら、もう少し儀礼化した贈与関係が成立するはず。
なんか、この一文は、非常に近代主義的な見方過ぎるのではないかと思う。社会関係は、そしてモノの売り買いの関係ですら、時代によって変る。