竹内裕二『イタリア中世の山岳都市:造形デザインの宝庫』

 イタリアの山岳都市を紹介した本。以前から読みたかった本。
 前半は概説部で、後半が個々の都市を解説。いや素晴らしい。写真も多いし、楽しめる。山の上にガッと石造りの建物が固まった景観やら路地の造形が、これは確かに虜になるは、という感じ。しかし、標高の高い場所に立地している山岳都市が廃墟化していっている状況はやるせない。日本と同様に中山間地域の過疎化という問題があったのだな。日本より20年ほど早く、顕在化しているようだが。あと、山岳都市が見直されているから、本書の出版から今日までの20年の間に状況が変わっているかもしれない。
 本書の出版が1991年だから、イタリアの都市空間についての紹介では比較的早いほうなのかな。
 歴史学の「都市史」という観点からすると、確かに都市である集落、都市的集落、山村が混ざっている感じがする。確かに、石造りの集落は日本人からすると、「都市」っぽく見える。だが、厳密に規定するなら「山岳集落」の方があっているように思う。
 あと、日本の村落の空間もそれなりに魅力的だと思う。スプロール化した都市に飲み込まれたきっちり歩いたことはないのだが、やはり旧来からある村落には空間に表情があって楽しい。ゆるやかに曲がっていたり、不意に路地があったりと。


以下、メモ。

 街を離れ、遠くから眺める夜景は、超高層の街並みとよく似ている。しかし、今、それら現代の街並みを歩いてみても、スケール感の良さを、そこから感じ取ることができない。
 建築や都市・地域計画を行う際、ものの寸法を、人間にとって快適な寸法から計りだす、といった作業によって生み出さず、なには何センチ、何平方メートルと既成概念になってしまったような数値が先行してしまい、その寸法でしか、ものをつくることができなくなっているからであろう。そのような数値を基に計画されたような街づくりには魅力がない。人間の動きを基に、これは気持ちの良い寸法だ、どれだけあるのだろう、とその寸法を先にチェックしてから出来上がった街づくりは、スケール感がいい。現代の街づくり政策に、イタリアの山岳都市は大変参考になるだろう。まさにデザインと造形の宝庫である。我々に数多くのいろいろなことを教えてくれる。p.93-94

 現在の都市のように一直線の道路や路地からは、どんな空地を取ったところで公園にもならなければ広場にもなりえない。人の流れをあたかも車の流れのようにしてしまい、道路は道路、公園は公園と、しっかり区分けしてしまった。「歩く」ことから楽しみを取ってしまった結果、道路と公園の一体化がなくなってしまい、人の目の届かない位置に設定した公園や広場は、逆に危険な場所と化してしまった。p.100-1



カバーの広告からおもしろそうな本をピックアップ。
窰洞考察団『生きている地下住居:中国の黄土高原に暮らす4000万人』彰国社 1988(ISBN:9784395002542
片山和俊・新明健編著『空間作法のフィールドノート:都市風景が教えるもの』彰国社 1989(ISBN:9784395002818