今村真介『王権の修辞学:フランス王の演出装置を読む』

王権の修辞学 (講談社選書メチエ)

王権の修辞学 (講談社選書メチエ)

 最近流行の、絶対王政期フランスの儀礼研究の本。
 読むのに思ったより時間がかかった。儀礼研究のツールである表象やレトリック、心理学あたりの知識がないと、なにを言っているのか良く分からないところがある。後半に行くほど、特に。
 以下、思ったことをいくつか。
 儀礼の区分けの問題。リ・ド・ジュスティスのような、エリート層内部での威信や権限の再分配を図る儀礼と、瘰癧さわりや入市式のような民衆層と接触する儀礼を国家の機能上分けた方がいいのではないかと思う。
 国家儀礼が権力の維持に重要な役割を果たしたのは確か。その上で、富の再分配や共同体同士の紛争解決から立ち上がる「公」といったものも重要なのだろうと思う。フランス革命の要因のひとつに、フランス国家・王家の財政破綻というものがある訳で。金の切れ目が首の切れ目というか。
 第一章の第二節で、「王」と言うものについて理念的に検討しているが、ここで大澤真幸が提唱した「超越的な第三者の審級」という概念を援用している。元の書物を読んでいないため、どのような議論が行なわれているかよくわからない。しかし、本書の要約を読む限りでは、「超越的な第三者の審級」は「神」を想定した方が良いように思える。「王」はその代理人、ないしそこから権威や正統性を汲み上げていると解釈した方が、歴史的な展開に即しているのではないか。古い時代の「王」が祭祀者、ないしは祭祀の管理者であったことを考えると。