佐谷眞木人『日清戦争:「国民」の誕生』

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)

 日清戦争が、どのようにメディアで扱われ、それが「国民」の形成にどのように寄与したかを描いている。特に第一章の征韓論日清戦争のつながり、「国威の発揚」・「国権の伸張」と「朝鮮の独立」が違和感なく両立していた行が面白い。以下、報道、美談、演劇、儀礼などが取り上げられる。ただ、気になったのは、儀礼や演劇はその場に居なければ届かない射程の短いメディアであるし、新聞にしても当時は読者層が限られていたことを考えると、東京以外の場では、どの程度、これらの影響力があったのか。そこが少し疑問であったりする。東京の人間だけが国民ではないというか。
 例えば、第七章「死者のゆくえ、日本の位置」で日清戦争の記念碑についての話があるが、ここでは東京や名古屋の事例が取り上げられている。愛知県下には114基が現存するとか。しかし、ここ熊本では、日清戦争の記念碑というのは、石碑に興味を持って見ているが、今まで遭遇したことがない。少なくとも、西南戦争の記念碑と比べると著しく存在感が薄い。熊本の第六師団が、威海衛の攻略に動員された結果、それほど損害を出していないという事情があるのだろう。そのあたりの地域による濃淡も重要なのではないか。

 侵略と善隣という本来は相反する行為が渾然一体となりながら、近代の日本は対外政策を推し進めていくことになる。それは、朝鮮の独立を進め、近代化を助けるという「善意」のもと、その近代化の「指導のために」、「併合」という表現を用いて植民地化を進めることにつながっていく。その始発点が日清戦争だった。p.38

この行は、しばらく前に読んだ『害虫の誕生』と被る感じ。農業害虫を発見し、それを駆除することが公であると主張する当局とそれを世界観の破壊と反発する農民たち。農民たちを遅れた者と見る視点。それが、日清戦争時の日本側の視線とそれに反発する清や朝鮮とダブるように感じる。