山本紀夫『ジャガイモのきた道:文明・飢饉・戦争』

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)

 ジャガイモの歴史。先日読んだ『ジャガイモとインカ帝国』(asin:4130633201)と同著者の新書。この本の一部+近代に入ってからのジャガイモの拡散を加えて、新書にしたもの。『ジャガイモのきた道』を買ったから、『ジャガイモとインカ帝国』を借りて、読破したのだが。
 アンデスでのジャガイモ栽培を扱った1、2、6章は、前著のダイジェスト。これに、近代ヨーロッパでの普及とアイルランドの大飢饉、日本への導入、ヒマラヤのジャガイモ栽培を一章づつ扱っている。
 ジャガイモがヨーロッパで普及するのが遅かったことに、食物と価値観の関係が垣間見えておもしろい。イモ類が存在しなかったヨーロッパでは、これを食物の価値体系に位置付けることが難しかったのだろうな。一方で、イモに親しんでいた日本では、ジャガイモ・サツマイモの普及が比較的早かった。ジャガイモが17世紀後半以降、関東・東北方面で、それなりに普及したらしいというのが興味深い話。西日本ではサツマイモの印象が深いし、江戸時代のジャガイモというのは聞いたことがなかった。ところで、江戸時代の根菜類の普及状況が分かりにくいというのには、やはり畑作物の軽視という要因があったのだろうなと思う。近代に入ってからは、統計データが使えるわけだが…
 あと、ネパールでのジャガイモ利用を扱った第四章が面白い。ジャガイモの導入と山岳地域の人口増加に関連する「ジャガイモ革命」論争。この章後半の聞き取り調査の記述からすると、普及したのはここ半世紀以内程度の期間のようだ。シェルパ族の人々のジャガイモの利用状況。特に、導入から比較的日が浅いにも関わらず、多彩な調理法が存在するのが興味深い。これは、野性のサトイモの仲間を昔から利用していた、その技術を応用したのだろう。このあたりの新作物をどう受け入れるのかは、結構追求のし甲斐がありそうな問題。
 第6章のアンデスの伝統的なジャガイモ栽培の記述で、休閑や多品種栽培が病虫害のリスクを減らすためという指摘があり、以下のようなことが書かれている。

 ここで重い返されるのが、第3章で紹介したアイルランドのジャガイモ大飢饉ではないだろうか。アイルランドではジャガイモの栽培を始めて二〇〇年あまりで疫病による悲惨な飢饉を経験したからである。そして、その原因はジャガイモにあまりに依存しすぎたこと、さらに単一品種を連作したことにもとめられる。p.179

この記述と現在のヒマラヤ地域の状況を合わせて考えると、割と血の気の凍る未来図が見えるような。まだ、ヒマラヤ地域のジャガイモ普及は日が浅いから、問題が顕在化していないだけなのではないか。現在の普及状況を考えると、今から手を打っておかないと、アイルランドの大飢饉の地獄図がヒマラヤで再現されることにならないか。