「激変2:新政権で何を盛るのか」『朝日新聞』19/9/2

 福岡2区は「たんぼのない選挙区」。自民党の重鎮、山崎拓氏も、マンションにロックされた住民たちの冷たい「サイレントマジョリティー」を感じた。いくら組織を固めても届かない、過去の肩書も実績も役に立たない。個々の候補者がもがいても見えないところに、有権者がいた。

 ここの行は興味深い。ただ、組織で掬えない有権者というのは、少なくとも90年代には問題になっていたわけで。こういう有権者を、選挙制度に取り込んでいくことは、かなり長い間の課題で、かつ未だに果たせていないということなのだろうな。高度成長期以前には、地域の自治システム(村など)に乗っかって、網羅しやすかったのだろう(最も、その時代には今のような感覚で、選挙を盛ることができたかどうか怪しいが)。それが、高度成長の過程で、人口が急速に移動し、都市部に集中した。それに対する、新しい政治の枠組みが出来上がっていないということなのだろう。
 それでも、経済や社会の情勢が良ければ、問題は顕在化しなかったのだろう。しかし、バブル崩壊以降の経済情勢は不満な人間を一貫して増大させた。90年代の政治史は、そのような状態に対する対応が軸だったように感じる。自民党政権は、増大する無党派層に、一貫して苦しんできたように見える。その後、小泉が出て、不満層を吸収する形で、一時代を築いたが、彼は社会にみなぎる不満に対応できなかった。小泉後は、小泉系(新自由主義)と旧来の自民党(公共事業主体)、そして妙な右翼の顕在化の中で、統治能力を喪失して行った。それで、現状は民主党への交代。しかし、民主党も混迷中というか、暗中模索の状態。
 今後も、当面の間、見えない有権者を取り込むための苦闘は続くだろう。また、当面レベルで、20世紀の中盤にあったような社会状況の有利な状況は期待できず、それだけ社会に不満は蓄積するだろう。それは、どのように解消されていくのだろうか。