石弘之『キリマンジャロの雪が消えていく』

キリマンジャロの雪が消えていく―アフリカ環境報告 (岩波新書)

キリマンジャロの雪が消えていく―アフリカ環境報告 (岩波新書)

 タイトルから、もう少し気候学的な話かと思ったが、基本的にはアフリカ全域の環境の状況を概観した本。基本的な環境区分、人口の増大とそれによる環境への負荷、都市の急拡大による歪、天然資源をめぐる環境破壊や農業の状況など。一読して、どうしようもない感が…
 もともとアフリカ大陸は人間が住みにくい、少なくとも農業などの活動に限界がある状況で、そこで人口が急増することでますます環境が悪化していく。もう、ヨーロッパ諸国には流れ込んでいるわけだが、そのうち世界中に移民の奔流があふれ出るかもしれないな。
 個人的には、第6章の「呪われた天然資源」と第9章「カギをにぎる農業」が興味深い。
 前者では、天然資源の問題について言及している。アフリカ関連では地下資源について言及されることが多いが、本書では木材についての問題に紙幅が割かれている。マホガニーなどの硬材の世界的な不足が違法伐採と闇ルートを産み、それが紛争の資金源になっていること。また、森林の破壊には、燃料として木炭が重要な役割を果たしている現状が影響していることが指摘されている。また、これらの闇ルートに先進諸国の企業が群がっていると言う問題。
 後者は、農業について。森林の破壊に伴う土壌の流失、商品作物栽培依存の歪み、水資源の不足、さらに農村を犠牲にして都市への食料安定供給を優先し、それによって政治の安定を維持する政策的問題。それへの対応として、伝統農法や植樹などの方向性と「緑の革命」の二方向を示す。伝統農法については、人口爆発への対応能力の点で疑問を指摘している。実践面の問題としては、地域の安定あるいは意欲がなければ、成功しそうにないところか。また、著者は「緑の革命」の方にそれなりの期待をしているように見えるが、実際のところアジアで行なわれたような「緑の革命」が、乾燥地たるアフリカで機能するのか疑問。水の不足が既に深刻化しているアフリカで、多投入の農業が可能なのか。降雨が不安定な半乾燥地では、種の選抜をしない伝統的な農法の方が安定性が高いのではないか。あるいは、外来作物の投入ではなく伝統的な雑穀の品種改良を行なうべきではないか。そのような、「緑の革命」のローカライズが重要ではないかと思うのだが。
 第10章がまとめになっているが、色々と難しい。植林を中心とした自然環境の回復については、成功事例が紹介されているが、これを大陸全域に広げるには労力と費用がかかりすぎて、現実的ではない。あるいは、先進諸国による廃棄物の不法投棄。ほとんど殺人的な。そして人材の問題。コミュニティがしっかりしているところでは、何らかの対応が可能なのだろうが、問題はここ100年ほどでそれが破壊されてしまっている地域が多いことか。
 以下、メモ:

 カリフォルニア大学のマイケル・ロス教授らの研究によれば、単一の輸出産業に依存する度合いが強いほど、政治腐敗や価格変動で国内の貧困化が進み、内戦が発生する確率が高くなる。主要な産物のGDPに占める割合が五%であれば六%にすぎない内戦発生の確率は、依存度が二五%に達すると三〇%にまで跳ね上がるという。p.111

元の論文は、参考文献を見るとこれらしい→Ross,Michael(2003),”The Natural Resource Curse:How Wealth Make You Poor",The World Bank
まあ、単一の輸出産業に依存するという状況が、そもそも不自然、というか無理なので不安定化するのは当然と言うべきか。

 コーヒー、紅茶、カカオ、ピーナッツ、砂糖キビ、綿花、タバコ、ザイザル麻、油ヤシ、除虫菊などの商品作物が、宗主国によって次々に持ち込まれ、白人入植者は農場開発のために肥沃な農地を現地民から奪った。アフリカ諸国は独立後も、植民地時代の農業構造をそのまま引き継いで、輸出向けのの商品作物をつくりつづけてきた。近年国際社会でのシェアは落ちたとはいえ、今でも商品作物が輸出の大きな部分を占める国は多い。p.180

ここがひとつの問題の根源だよなあ。商品作物を巡る分け前がほとんど生産国に入らない。優良農地を商品作物にあてるため、食糧生産が伸びない。市況は下がり気味。かといって、経済構造の転換も難しい。下手するとジンバブエみたいになるし。続いて語られる、コーヒーの買い叩かれぶりが酷い。

 こうした失敗のたびに「アフリカだから仕方がない」という言い訳と諦めがまかり通ってきた。「相手側に援助の受け入れ能力がなかった」という被援助国の責任の追及に始まり、「相手のことをよく知らなかったから失敗した」という援助側の反省の弁になり、「援助が機能する政治経済的な基盤がない」という結論で終わってきた。p.205-6

なんか、最近はてな界隈で話題になっている某所の議論みたいだな。

地場産業の破壊に手を貸す「善意」
 アフリカで食糧暴動が続発していることからもわかる通り、ほとんどの国で「食の権利」(第9章)は無視されて、満足な食事の取れない人々が増えつづけている。飢餓のたびに欧米から援助される良質の小麦やトウモロコシが無償、または低価格で配給されるために、アフリカ人の食生活が変り、雑穀の生産に頼っていた農業は競争力を失って農民はいよいよ貧しくなった。
 援助団体や宗教団体から大量に寄付される古着が無償で配られるために、零細なアフリカの繊維産業は風前のともし火だ。ケニアタンザニアザンビアなどでは繊維産業の倒産と失業者が急増し、古着配布に恨みの声が高まった。欧米は中国産の安い繊維製品が国内産を駆逐すると声高に非難するが、自分たちの足元では「善意」の名に基づく地場産業の破壊に手を貸している。
 アフリカでは外国語が堪能で事務能力にたけた人材の層は薄い。援助団体が高給で人材を政府機関から引き抜くために、政府の機能が目にみえて落ちる。とくに一九八〇年代後半以来、エイズ援助団体がアフリカに集中したときには、人材だけでなく、事務所にするため邸宅が払底してしまった。腐敗した国の権力者も困るが、ひとりよがりの援助も困る。p.220-1

難しい話だ…