秋道智彌『クジラは誰のものか』

クジラは誰のものか (ちくま新書)

クジラは誰のものか (ちくま新書)

 世界各地の海民の研究をしている人類学者が、その知見から捕鯨問題を論じている本。基本的には捕鯨推進の立場に立つと理解して良いと思う。
 クジラ目は全世界で80数種を数え、また地域ごとに生息状況が違う。また、人類の側もクジラとのかかわりは多様であること。このような「クジラ文化」の多様性を指摘し、二元論的な議論を相対化しようとしている。日本を中心に、世界各地のさまざまなクジラの利用を紹介し、また、捕鯨をめぐる言説の分析やコモンズとしてのクジラといった議論も紹介される。
 紹介されるクジラの利用の多様さが面白い。ベトナムのクジラの骨を祀る信仰や日本各地のクジラの料理の紹介、特にクジラの「タレ」など。クジラを見る目線が、各地で違い、また同じ場所でも捕鯨(子を捕まえて、親をおびき出す)とクジラの供養と矛盾する観念など、重層的な性格を持つ状況が明らかにされる。混獲の問題、クジラ類の生態汚染とそれによる先住民の病害なども紹介されている。
 全体的に目配りされていて、いい本。
 個人的な捕鯨への考えとしては、クジラ類を殺して食べることに倫理的に非難される言われはない。しかし、海獣類の重金属の蓄積など、汚染状況を考えると食用としての捕鯨の先は暗いだろうと思う。あと、ちょっと検索をかけて見たが、例えばイルカの追い込み漁などが残酷と非難されていることが多い。確かに漁の血まみれの光景はショッキングだが、そもそも生き物を殺すとはそういうことだろう。魚とて似たようなやり方で捕獲されている。そこに倫理的な違いはないのではないか。命に対する観念の不均衡が問題なのではないかと思う。そのような命を区別する思考は受け入れがたい。オーストラリアのカンガルーも然り。こんなところかな。


以下、メモ:

 私はこれにたいして、「クジラを適切に利用することができなければ、地球を救えない」と主張したい。その意味はこうだ。クジラの問題は、そもそも人間と野生動物との多様なかかわりとして考えたい。捕鯨(=消費)とホエール・ウォッチング(=非消費)はいっけん対立する構図にあるが、かかわりという点では共通の枠組みで考えるべきだ、同じ土俵で対話がはじめて可能となる。捕鯨もホエール・ウォッチングも地域ごとの問題であり、同時に地球全体の関心事でもある。捕鯨とホエール・ウォッチングがこの地球上で共存できるようにするにはどうすればよいか。そうした包括的な視点こそが肝心ではないか。p.13

二元論の止揚を目指す、本書の性質を現す言葉。しかし、「クジラを殺すことは恥ずべきことだ」とかいっている連中には通じないだろうなあ。生態系の許容する範囲において、野生動物を狩って食べるというのは許される行為だし、恥ずべきことではないと思うのだが。アメリカとて狩猟は盛んな国だし。

 捕鯨に関して日本特殊論を持ち出すわけではないが、日本の捕鯨は北半球の先住民が行なってきた自給的で小規模な捕鯨や、鯨油生産を目的とした工業的な捕鯨を追及してきた欧米諸国とは違う性格をもっていたことを確認しておきたい。この点は重要であり、先住民生存捕鯨商業捕鯨の二元的な区分を議論の柱としてきた国際捕鯨委員会の見解に対する反証となっている。p.97

近世の網取り式捕鯨のような網を利用した捕鯨は世界でも類例がほとんどないとか。多様な捕鯨法が育まれていたそうだ。ちょっと話がそれるが、中世あたりのヨーロッパ、北欧やビスケー湾岸あたり、の捕鯨文化はどのようなものだったのだろうか。儀礼や肉の分配などの制度習慣があったのか、あるいは商業的なスタイルになったのはいつか。北海では、16世紀あたりから、遠洋ニシン漁など大規模な商業化が進んでいたわけで、どのように変化してきたかを考えるのは興味深いかも。

 生存か商業かは、単純にいえば売るか売らないかによる区分である。しかし、イヌイットエスキモーの捕鯨が生存のためだけという前提は疑ってみる必要がある。なぜなら、現代のエスキモーやイヌイットは極北の地に生きているが、外界からまったく隔絶されたギリギリの生活を送っているのではない。しかもエスキモーは集団間でクジラの肉を交換の対象としている。この取引は商業行為といえるものではなく、クジラを社会的な交換財として利用したものである。
 現在だけでなく、過去においても先住民は集団間で鯨肉やクジラ製品をの交易や交換を行なった。そうなると、エスキモーの捕鯨とクジラの利用を生存という用語で一括りにすることには無理が生じる。p.131-2

 もう一つは生存という言葉の問題である。つまり、辺境に隔離されて生きる貧しい人々の生活が、生存ということばで差別的に語られてはいないかという率直な疑問である。反捕鯨の先頭に立つアメリカには、先住民生存捕鯨を営むエスキモーの人々がアラスカにいる。厳しい極北の環境に生きる人々がさまざまな工夫と生存戦略を歴史的に駆使して現在にいたったことにいっさい目配りがされていないのではないか。貧しい暮らしを営むアジア系の人々とみなす人種差別感がないとはいえない。p.133

 先住民生存捕鯨を認めるという発言はいかにも聞こえがよいが、先住民を白人の下におく差別思想がどことなく匂ってくるのが問題なのだ。
 その典型がニュージーランドで起こった漂着クジラの扱いをめぐるニュージーランド政府の対応だ。ニュージーランドの先住民であるポリネシア人マオリは、漂着したクジラを食べるだけでなく売ろうとした。すると政府は「先住民だから、生存捕鯨の一環として食べることは構わない。しかし、売ることは商業的な行為だから駄目だ」という判断を下した。栄養学的にクジラが必要であるから利用させるのだという意見も出た。これにたいして、マオリの人々からものすごい反論が起こった。
 一九九八年二月にカナダのヴィクトリアで第一回の世界捕鯨者会議が開催され、私も参加した。その会議でマオリの代表はものすごい剣幕で発言した。
「クジラは私たちにとって宝物であり、売ろうが売るまいが勝手である。ところがあなたがた白人は、私たちが栄養学的にクジラを必要としているから食べていいとは、何たる言い草か。私たちは栄養失調の状態にあるのではない。私たちの祖先はクジラからいろいろな恵みを授かってきた。私たちは、その伝統を持続するためにクジラを食べるのである。『売る』のも同様である。いまの世のなかで売らずに食べていけるなどはありえないことだ。われわれを先住民と思って馬鹿にしている」といった趣旨のペーパーをもとに猛反論を繰り広げたのである。p.137-8

「先住民生存捕鯨」という用語に含まれる人種差別性。ニュージーランド政府の態度は、良く言ってもパターナリズム的だな。そりゃ、マオリの人たちも怒るわ。

 それほど多くのサンプルからどれほど有用な科学的な情報が得られているのかが問われている。イワシやサバの資源調査ならともかく、産仔数の少ない巨大なクジラを殺してサンプルとすることのコスト・ベネフィットがどうなっているのか。もちろん、詳細な資料は得られるだろうが、その意義が見えてこない。これが人体であったら問題で、われわれは血液とか毛髪からさまざまな分析を行なうが、いちいち人間を殺して解剖しているのではない。p.162-3

調査捕鯨のあり方の問題。端的に言って、現在日本が行っている調査捕鯨は、偽装した商業捕鯨だと思うけどね。しかし、何が悪いとも思う。このような形で維持しなければ、母船式捕鯨のノウハウや機材が確実に失われていたわけで。ただ、こうして捕鯨船団を維持しても、今となっては、商業化すれば、逆に採算が取れずに潰れそうなのが問題かな…

 先に述べた世界捕鯨者カウンシルの会議で懸念された事態は、平成十五年、グリーンランドイヌイット社会において、健康障害、免疫不全、神経・脳障害などの症状が住民に発生していることが判明した。これはイヌイットが水銀やPCBなどによって高度に汚染された海獣類、魚類、クジラなどを常食としていることに起因する。また、PCBや有機塩素系化学物質は大気、海流を通じて主に工業国からもたらされた人為起源のものであることも明らかである。
 汚染された海洋動物の摂取をやめて食生活を転換することが叫ばれるなか、西欧的な食生活へのシフトが今後、心臓病、糖尿病、肥満などの生活習慣病の誘引となることも同時に懸念されている。これを「極北のジレンマ」と呼ぶようだ。
 海生動物の摂取は、イヌイットの人々の文化や儀礼と密接にかかわるアイデンテンティ(ママ)そのものである。こうした被害状況はロシア領のチュコートコリヤークでも報告されている。p.180-1

汚染で真っ先に被害を受けるのが、やはり周縁の人々…

 裁判の公判のなかで、原告の日本側からクジラ・イルカを殺すことを批判するなら、あなた方はウシやブタを同じように殺しているではないか、との異議が出された。これにたいして、弁護人側からは「ウシやブタは家畜であり、人間が管理しているから殺すことは人間の裁量であるが、クジラは野生動物であり勝手に殺すことは一体誰の許しを経ているのですか」との反論が出された。p.195-6

1980年に壱岐アメリカ人活動家が囲い込んであったイルカの網を切った事件の裁判で。そもそも誰が許すのだという感じだ。この事件に関しては、 イルカと漁民 が詳しい。しかし、船単位に引っ付いて魚食われたら、そりゃ漁民側は殺すしかないわな。


ネット上の捕鯨関係の情報リンク:
反捕鯨キャンペーンと日本の対応
太地のイルカ漁描く映画「THE COVE」日本公開を期待 「血、血、血の海だ」この手の形容にはうんざりだ。。そもそも生き物殺せば血が出るっつの。魚だって、家畜だって。見えないだけだ。
イルカ漁告発映画『The Cove』と『わんぱくフリッパー』
イルカ漁でググルと山ほど出てくるな。