内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

 1965年前後を境にキツネに化かされる話が存在しなくなったことを手掛かりに、歴史論を展開している本。その意味で、「歴史学」あるいは「歴史」の本とは言いがたい。
 後半、サラッと流し読みしたので、いい加減にまとめると。キツネに化かされなくなった社会的要因の列挙から説き起こし、伝統的な農山村の霊的世界、コスモロジーを析出、近代の発展史観から無視されてきた「見えない歴史」としての山村の世界観を明らかにし、知性の限界を説く。こんな感じだろうか。なんか道具立てが古いような気もするが… あと、結局、「見えない歴史」に接近するのに、無理は承知で「知性」で挑むしか歴史家には手がないように思う。
 以下、メモ:

 かつての村の教育には、学校教育、家族ならびに地域の人々が日常のなかで教える教育、子どもたちのなかで先輩から後輩へと教えていく教育という三つの形態があった。その三つの教育が重なり合って村の教育は成立していた。さらに村の教育で重要な役割を果たしたものに村の「通過儀礼」、「年中行事」があり、それは生まれてから大人になる過程でおこなわれる儀式であったり、祭りであったりする。
(中略)
 村で苦労なく暮らせる人間を育てるには多様な能力を身につけさせなければならず、だからその過程には家族、地域の人々、先輩たちが加わり、ときに祭りや儀礼をとおして多様な教育体系をもたなければならなかったのである。
 進学率が向上したとき、この村の教育体系が崩れた。受験に合格できる試験能力をつけることが教育になり、家族、地域、先輩などから教わる「村の教育」が不要視されるようになった。1960年代には村の「通過儀礼」も急速に減少していった。教育の基盤は学校に一元化され、その学校教育を補うかたちで家での勉強、塾などが展開していく。p.48-50

教育の重層性の問題。学校教育と共同体教育は車の両輪だったのが、共同体の解体で片肺飛行になっている状況なのだろう。そこから「キャリア教育の義務付け」なんて話が出てくるのだろう。本来は学校でなにを教えるかの抜本的な見直しが必要なのだろうけど。

 霊、あるいは魂としか呼べないものについての思想史を振り返ってみると、江戸時代とは霊の通俗化がすすんだ時代である。霊が日常世界に取りこまれはじまた、といってもよい。都市の武家の世界では儒学を基盤にしながら、霊が政治的に語られるようになり、天照大神の霊の継承としての日本人論が「霊の真柱」として書かれるようにもなってくる。それは政治的な立場からの霊の通俗化である。p.79


 ところでこのような問題意識は、現代哲学ではありふれたものになっているといってもよい。ヨーロッパが生みだした思考は、今日では、挫折感を伴わずに語ることのできないものになっている。たとえばパウル・ファイヤアーベントは次のように述べる。「西洋の拡張の知的な体裁を整えるために用いられてきた二つの観念、つまり〈理性〉の観念と〈客観性〉の観念を私は批判する」(『理性よ、さらば』1987年、植木哲也訳)
 人間の知性も、知性によってとらえられた世界も、もはや絶対的なものではなく、少なくとも制限されたもの、あるいは否定的なものになった。p.147-8

ところが、アメリカやらアメリカの影響をうけた社会科学系の学者の間では、このあたりが能天気なんだよな… 純粋に「理系」の問題ならともかく、社会を扱うときには「客観性」なんてありえないし、不合理に揺らぐもののはずなのに。