射精・・・「男の不感症」

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 分析部分には、そうかなあ、と首を傾げる部分があるけど、全体としては面白い。
 射精の後に虚しくなるというのは確かにある。あと、実写系のポルノ、あるいは抜き専門の創作物では、確かに抜いたあとは、閉じるな。最近は、そういうのは買わないけど。エロゲにしても、エロマンガにしても、選択基準は作品として面白いことが主で、抜けることは従になっている。まあ、私はポルノを見た後、それを元に再構成したのを想像しながらやることが多いから、この著者とは、また違う感覚なのだが。
 1の後半部分「劣等感」と「女性蔑視」の部分と3の中盤ポルノを摂取し、オナることが自傷行為に近いという部分は、同意しかねる。他は、なるほどと感じるかな。2の部分なんかは、確かにそうだ。「ポルノによって男のフェティシズムが満足される」というのは、非常に同意するところ。

したがって、射精における男の原体験とは、射精するたびに繰り返されるところの、めくるめく快感や深い充足感からの疎外体験なのである。射精によって何かすごい快感の世界に入り込めると思ってしまうのだが、射精後にはつねにそれが裏切られ、何の深い充足感もないざらざらとした砂漠にひとり取り残されて、早くここから立ち去りたいと願わざるを得ない、それがマスターベーション体験の核心部分なのである。

 昔はそうだったかな…

したがって、私のような男の自意識に即して言えば、男はマスターベーションを「やむにやまれずしている」のである。この閉塞感と圧迫感が、マスターベーションの基調を決定しているように思われる。「マスターベーションしないとやっていけない私」という自意識が、男のセクシュアリティの根底にある。

このように考えてきたとき、ポルノは、単なるセックスの代用品ではないことが明らかになる。そして、ポルノは、男の心の深層にまで根深く食い込んでいることが予想される。ここまで深いところに食い込んでポルノが成立し、流通している以上、男にポルノを手放させるのはきわめて難しい挑戦なのである。ここで分析した三点については、また荒い仮説にとどまっているので、さらに緻密に検討していかねばならない。