佐々木烈『日本自動車史』

日本自動車史―日本の自動車発展に貢献した先駆者達の軌跡

日本自動車史―日本の自動車発展に貢献した先駆者達の軌跡

 明治時代の自動車に関する歴史を、当事者の子孫への取材や新聞記事などから丹念に拾い集めて、再構成した本。
 最初の三章は、日本の自動車に関する草分け的な人物の伝記。最初の自動車技師林平太郎、最初の自動車販売会社モーター商会を起こした松井民治郎、最初に国産自動車を複数製作した吉田真太郎を取り上げている。
 続いて、ごく初期の自動車、特に各地の乗合自動車事業の開祖などについて。明治30年代に各地方で開業された乗合自動車の死屍累々な有様。明治30年代には、技師・運転手などの人材、車両の補修維持、乗合馬車との競合などから、経済的にペイせず、次々と現れては消えている。むしろ、パイオニアが倒れた後に、その中古車を買って事業を始めた人間が、後々生き残っている様子なのが興味深い。
 その後は、ダット自動車、明治45年のタクシー会社の出現、自動車税の話となっている。1910年代になると、欧米の自動車技術もこなれてきて、乗合自動車やタクシーの営業がペイするようになってくるのだろう。T型フォードが1908年、フォード式生産システムが1913年、ここに至って、日本でも自動車営業が可能になってきたのだろう。
 もとが『自動車新聞』紙上に掲載したものだけに、読みやすかった。本書に問題があるとすれば、索引がないことだろう。この時代の自動車に関わる人間は、あちらこちらに顔を出すだけに、索引でこの人はどことどこに関わっているかを調べることができれば、本書はより興味深く読めたのではないかと思う。


 第13章の自動車税のついての章が興味深い。本書では、テーマから自動車税に注目しているが、この車両税は馬車、人力車、自転車等にも課税されていて、車両税の文書を追及すれば、より広い交通史・経済史の情報が得られるかもしれない。
 車両など乗り物への課税は、明治6年国税として、明治29年地方税に移管されたそうだ。熊本県の関連資料は保存されているのだろうか。要調査。
日本の自転車税の歴史
 「明治前期 財政経済史料集成 第一巻」
 明治前期の道路行政と国庫補助 ― 明治13年太政官布告第48号と車税問題 ―
 日本自動車史の資料的研究-6-岐阜県の先駆的自動車事業と自動車税の創設(明治36年<1903>)


 以下、メモ。

 それでも、この頃になると地方で乗合自動車を計画するものがぼちぼち現れる。明治43年9月3日の中央新聞は、そうした傾向を「自動車の発達」として次のように報じている。
 「(前文略)運輸交通の側では東京に帝国運輸自動車会社が小規模ながら営業して居るのを始め、肥後に一ヶ所(三台にて乗合業)、讃岐自動車会社(是は伊予松山に移る)等も営業して居り  (以下略) p.159

 社長友常穀三郎が熊本県出身で九州商業銀行頭取だった関係で、熊本・山鹿間乗合自動車を運行した林千八に、自社のバスと同じ自動車を斡旋し尾、取締役鷲津光之助がわざわざ熊本まで送り届けたりしている。
 そのことを九州日日新聞が取り上げているが、記事の中で、自動車は南信自働車が購入したフランス製12人乗り2台の内の1台だ、と報じているし、東京の中央新聞が、伊那・飯田間の乗合自動車が使用しているのはフランス製のクレメントで1台8000円もする高級車だとも報じている。 p.198

 熊本県における乗合自動車の事始。後者の南信自働車は明治44年12月に運行開始。熊本・山鹿間の乗合自動車はそれ以降か。メモ。