文化よりも優先されるものがあると思う

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 魚食文化の話。だいたい同意かな。題名と内容がずれているようにも思うが。
 ちょっと薀蓄に走ると、もともと、魚って、ものすごく流通が限られていたものだった。冷蔵・冷凍設備が普及する前は、鮮魚は結構高かったはずで、大半の人は干物か塩漬けで食べていたはず。熊本県内で言えば、熊本市は購買力のある人間も居て鮮魚が入っていたようだが、少し内陸の菊池や城南町の方面では、鮮魚はまず見かけなかったようだ。そういう意味では、スーパーで手軽に生魚が買えること自体が、実はごく最近の特殊な状況であることを忘れてはいけない。現在のような形の魚食は、「文化」というほどには熟成していない。だからこそ、生活環境の変化の中で、簡単に減少していく。
 『日本の食生活全集43:聞き書 熊本の食事』(ISBN:4540870319)という本は、大正あたりの食生活についての本だが、ここで比較的海に近い熊本市西部の平野地域の食生活の聞き書きで、意外に魚の存在感がないことに驚いたことがある。
 あと、冷蔵が普及する前の魚って、おいしかったのかというのも疑問だったり。京都の鯖とか、東京の築地に搬入される魚は、水揚げから結構時間が立っていたわけで。『聞き書き築地で働く男たち』(ISBN:9784582855104)にも結構うわあというような描写があったりする。

 昔のマグロ漁船は、冷凍設備のない船でしょ。船内で氷漬けにしたまま、何ヶ月も漁をするわけさ。「氷蔵百日」っていう言葉もあって、上手く氷蔵すれば百日くらいは保存できたらしいよ。でも出鱈目な保存方法でやると、すぐにダメになったそうだ。
 キハダマグロなんか、築地市場に入ってくる頃は臭くてね。俺なんかはよく臭いを嗅いでいたものだよ。その臭いっていうのは、腐っているという感じの臭いじゃなくて、独特な……。鼻につんとくる臭いなんだよね。すっぱい臭いというか……。表現が難しいなぁ。いま考えれば、そういうマグロを平気でみんな食べていたんだからヤバイよね(笑)。生マグロがメインだった頃は、そうやって目利きしていたね。p.43-44

これはちょっと強烈だった。


 あと、魚をさばくというのが、実際には、誰にでもできることではなかったということも、考慮に入れる必要がある。胡桃沢勘司『西日本庶民交易史の研究』(ISBN:4830512210)では、前半で魚の行商が多く扱われているが、これには、魚の行商時に売る側が魚をさばく事例がいくつか紹介されている。瀬戸内海の事例だが、

売りに行く時は、必ず包丁・俎・竿秤を持って行く。(中略)包丁と俎は、内臓を出したりする際に使うが、この処理をアラゴシラエと言う。アラゴシラエをしないと買ってもらえないから、作業に使う道具は必携品なのである。p.158

魚の鮮度を保つには、血を止めて固くならないようにしなくてはならないから、小魚以外は予め絞めておく。しかし、事前の処理はそこまでなので、買手に渡す時は、更に、内臓を出し、鱗を落とし、場合によっては三枚におろすようにしていた。そのため、売りに行く時は、包丁を、出刃とおろし用の二本くらい、必ず持つようにする。p.171-2

塩蔵や干物も含めて、大概消費者は、加工済みの魚を買っていた。そう考えると、魚をさばくという技術が、時代を通じて、どの程度普及していたのか。そこから疑ってかかる必要がある。


 事程左様に、昔から続いているように思うようなことでも、よく調べるとそれは最近の事象だったということがある。「伝統」や「文化」というのは、よく注意して使う必要がある。組織的に勉強したわけでなく、ちょっと調べるだけで、魚介類の流通と消費に関しては、たかだか60年前には、今からは想像しがたい状況にあったことがわかる。その後の変動も含めて議論をする必要がある。戦後の魚食は、いわば短期的なバブル状態にあったとも言える訳で。「魚食文化」というなら、そういうことも考慮に入れて議論を行う必要がある。