由水常雄『正倉院ガラスは何を語るか:白瑠璃碗に古代世界が見える』

 著名なガラス研究者が正倉院に伝来するガラス器を分析した本。実作による復元が特色。そこから得られる知見が、単純に物を分析したにとどまらない踏み込んだ認識を可能にしているようだ。
 第一章では正倉院の在庫目録から、そこに記載されているガラス器が大きく増減・変化していることを明らかにする。最初の光明皇太后の奉献時にはガラス製品は一つもなかったこと。鎌倉時代の大仏再建後には、これが23点に増える。これは大仏再建時の法要で使用したものではないかと推測している。その後、江戸時代以降は5-6点。さらに、明治5年の調査以降に2点が失われ、別に2点が入っている。現存する個々のガラス器も製作年代がバラバラで、天平の器というイメージはなくなる。最初に正倉院に納められた武具がその後の戦乱で使用されたり、江戸末期あたりにはこっそりと持ちだして売却されたような事例があるそうだから、結構、出入りがあったのだろう。この部分については、目録の範囲など批判があって、額面通りには受け取れない部分があるようではあるのだが。
 それ以降は、個々のガラス器の生産地・時期の推定、復元作業から見えた特色などを述べている。近代に入ってから製作されたと推測される緑瑠璃十二曲長坏以外は、10世紀以前に遡る品で、ササン朝ペルシアに王宮工房や中央アジアのガラス生産地の作の名品のようで、高い技術がつかわれているとのこと。特に、紺瑠璃杯はガラスの輪を溶着させた円環文の最高レベルの品だそうで、24個の円環文をきちんとつけるのが難しく、復元に成功した例は他にないとか。
 どこまで定説しているか、またどこまで信頼できるか(微妙な部分は確かにある)、測りかねるところがあるが、面白く読めた。それぞれの紹介が魅力的。同じ著者で、『ガラスの道』という作品があり、こちらはガラスの世界史という趣の本で、こちらもお勧め。むしろ、『ガラスの道』の著者だから手に取ったと言ってもいい。
ガラスの道 (中公文庫)

ガラスの道 (中公文庫)



 ところで、こんな記述がある。

 この白瑠璃高坏の高度な製作技術とその機能性からみて、おそらく、ササン・グラスの伝統を継承したイスラムのガラス産地で作られたものが、大仏開眼供養に参列するために来日したイスラム僧によってわが国にもたらされ、大仏に奉献されたものであったと推測される。p.79

 ダウト!
 割と基本的な知識だが、イスラム教には専門の聖職者がいない。また、偶像崇拝ダメ絶対!なイスラム教徒が大仏開眼供養に参列することはありえない。年代・産地の推測については、全く分からないが、本書の推測を受け入れるとしても、これをもたらした人物については、全く別のルートを考える必要がある。イスラム世界から何れかのルートで商人がもたらし、それを仏教徒が購入、鎌倉時代の開眼の時に献じたものと推測すべき。