- 作者: 高山博
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/09/20
- メディア: 新書
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本書も制度史の部分が特徴と言っていいかな。通史的叙述に主眼が置かれていて、簡単に触れているにとどまっているがアウトラインは分かる。シチリア王国では統治システムが発展して、ロベール・ギスカールの南イタリア統治では統治システムができなかったのには、やはりもともとのその土地の伝統の問題が大きいのだろうな。プーリア地方にはビザンツの統治の伝統が、シチリアではイスラムの統治システムがあったのに対し、南イタリア、特にランゴバルド系の侯国では遠心的な社会であったことが大きいのだろう。また、各地の世俗諸侯に対抗するためにも、ムスリムを利用する必要があったのだろう。
制度史に比べると、文化史の方はちょっと微妙。地中海世界の十字路にして、ラテン世界・ギリシア世界・イスラム世界の接触地であった南イタリアとシチリアでそれぞれの世界の文化がさかんに交換されたこと。また、シチリア王国内で、当初はラテン人、ギリシア人、ムスリムが並存したことは確か。しかし、長い目で見れば、むしろノルマン人の征服活動とシチリア王国の成立によって、南イタリア・シチリアがラテン世界側に併合されたという側面が強いように思う。
さらに時間枠と空間枠を広げてみるならば、この王国は、人類の経験としての文化交流と異文化接触に関して、豊富な実例を提供している。異文化接触や交流が恒常化しつつある現代世界にあってみれば、シチリア王国で生じた現象は、私たち自身の世界を理解するための重要な示唆を与えてくれるはずである。また、三つの文化的要素が一つの王国内に併存している状況は、それぞれの文化的要素を同じ文脈の中で比較することを可能にさせる。それによって、歴史家たちが作り上げてきたラテン・カトリック(西ヨーロッパ)世界、ギリシャ・東方正教(ビザンツ)世界、アラブ・イスラム世界のイメージを比較・相対化し、再検討する道が開かれることになる。王国研究は、このように、単なるヨーロッパの歴史を越えてより広い歴史研究上の意味を持っているのである。p.172-3
うーん、大きくでた割には、成功していないような。このレベルの接触・交流は、結構普通にあったんじゃなかろうか。また、ヨーロッパ側では12世紀ルネサンスによるギリシアやイスラムからの学問情報摂取の拠点としての、文化史的意義があるわけだが、イスラムやギリシアにとっての意義というのは、どのようなものであったのだろうか。そこがはっきりしないと、「交流」という側面が見えてこない。皮肉な言い方をすると、多文化の並存には摩擦が付き物という身も蓋もない結論くらいしか出てこないような。
あと、本書を読んでいて思うのは固有名詞の処理の難しさ。先の山辺作品では、ノルマン人の初代はフランス語読みで、二世代目以降はイタリア語読みになっている。対して、本書ではラテン語読みで統一されている。おかげで読んでいる間中違和感に付きまとわれた。以前読んだときは、高山氏の著作を先に読んだので、山辺氏の方に違和感を感じた。どちらを最初に読むかは、結構重要。
山辺氏の方も、なかなか無理な処理をしているが、高山氏のラテン語統一もそれはそれで問題が。神聖ローマ皇帝フリードリヒをフレデリクスと表記されても何のことやらという感じではある。また、地名はフランス語・イタリア語の読みなのには違和感が。まあ、このあたり正解は無いのだが。
しかし、実際、フランス生まれで、イタリアで活躍し、最終的にはラテン・ギリシア・イスラム世界にまたがる王国を作り上げた人々の名前を、何語で呼ぶのが適切なのだろうか。そもそも、この舞台で活躍した人々は、どんな言葉を使って意思疎通をはかっていたのだろうか。特に、最初にノルマンディから移住したノルマン人傭兵は、現地の人々と言葉が通じたのかからして、分からない。ルッジェーロ(ロゲリウス)2世あたりは、ラテン語、ギリシア語、アラブ語の三つに通じていたらしいが。