- 作者: 金森敦子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2002/07/01
- メディア: 新書
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後半は関所と女性の旅について。江戸時代の関所が「入り鉄砲と出女」と言うように、幕府の大名統制のために設置されたのは、教科書にも載っているように、有名な話。結果、関所では女性は厳しく取り調べられ、不便だったとのこと。これらの関所は、江戸時代後半には形骸化し、ほとんどザル状態になる。ほとんど公然と関所が抜けられるようになっていたり、別ルートを通って迂回することが一般的に行われるようになっていたそうだ。まあ、江戸時代後半には太平の時代が長く続き、一方で目的外の庶民が大量に通るようになれば、金とって通らせる方が事務仕事が増えなくていいわな。今だったら、あっさりと事業仕分けされそうな塩梅だが。
そもそも、江戸時代前半でも、主要街道以外でも抜け道はいくらでもあったと思われる。その点で、関所の有効性はどのように担保されていたのかがよく分からない。一般庶民と比べて、やはり目立っていたのだろうか。齊藤慎一『中世を道から読む』(ISBN:4062880407)でも、使者などが移動するために各地に安全の保証を取り付ける必要があった一方で、僧侶などの庶民は結構あっさりと敵地との間を抜けていた。武士の移動にはそれと分かるような特徴があったのだろうか。このあたり公的な言明と実際の状況の乖離が大きくてよく分からないな。
あと、本書では、多数の旅日記が利用されているが、関東から東北方面の史料が大半を占めている状況が気になる。九州在住の人間としては、西国からの旅行がどうだったかは興味ある。このあたり、著者の条件によるものか、史料の掘り起こしと刊行が、西日本では進んでいない状況なのか。
まめに付けている日記というのは、情報源として面白い。昔大学のレポートで、南方熊楠の日記を使ったことがある。イギリスやアメリカに留学中、熊楠は日記をつけ、それには支出も記録してあった。その日記から飲酒の記録や酒への支出を集計して、日記の中絶と酒量の増加から、それぞれの留学の後半期には熊楠の生活は荒れていたのは確かなようだと結論した。谷口克弘の『信長の天下所司代』も公家の日記を主な素材にしているし、日記は面白い。