江戸幕府の日本地図―国絵図・城絵図・日本図 (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 川村博忠
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2009/12/01
- メディア: 単行本
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慶長度は西日本のみ、幕府による規格統一が進んだ正保度、諸大名の献上から幕府が主体になって制作に変わった天保度。それぞれに、差があって興味深い。あとは、享保の日本図調製の時の、国絵図を接合するための技術的対応とか。
地図が実用に供されることは言うまでもない。軍事や旅行に必要であり、行政の実務にも欠かせない。だが、そのような実用目的を越えて、地図を作成すること自体が政権の証しとしてとらえられることもあった。つまり、国土の地図作りは国家権力のような制度の存立や機能と関わり、国家の営みと密接に関わっていた。
関ヶ原の戦いで勝利して天下を統一した徳川家康は、はやその翌年に諸国の大名に国絵図と郷帳(御前帳)の調進を命令している。これは日本全土の地勢を戦略的に掌握して大名配置の布石を得んとしたほか、諸国の大名に公役を賦課するためにも諸国の生産力の実情を掌握せんとする意図があったからであろう。しかし、国絵図・郷帳の徴収は、幕府設立当初において必要とされた実際上の目的だけではなく、諸国の大名に幕府を中央権力として公認させようとする国家統治の意図が働いていた。
服属儀礼としての地図製作。このような行政単位ごとの地図と戸籍を進上させるのは、中国の王朝や日本の古代王朝からの伝統らしい。徳川幕府がどこから、そのアイデアを得たのかは書いてないが。中国の古典からか、有職故実の方からなのか。