「オピニオン異議あり:地域主権?覚悟はあるのですか:分権にずっと懐疑的だった放送大学長 石弘光さん(73)」『朝日新聞』10/4/10

――ようやく地方分権が進みそうです。
 「いや、僕は懐疑的です。戦後の流れをずーっと見て下さい。この問題はね、たえずアドバルーンが上げられ、スローガンが掲げられてきたんですよ。占領下の1949年にアメリカからシャウプ税制使節団が来た。彼らの勧告は税制改革で有名だが、市町村を重んじた地方自治も強調した。アメリカ的なデモクラシーを植え付けたいと思ったんでしょう。でもそれは日本の風土に合わず、逆にどんどん中央集権化していった。」

 皮肉な話だが、高度成長期以前には、地方自治の受け皿となる村落共同体が存続し、それなりの存在感を示していた。しかし、その時代には、総力戦国家・国家社会主義への志向が強く、中央集権に走った。現在は、地方分権を求められているが、

――石さんは、中央から地方に財源と権限を移そう、地方の主体性を重んじよう、という流れに反対なんですか。
 「ぼくだって、今のような過度の中央集権がいいと言っているわけじゃない。出来ることなら進めた方がいい。でも、中央にも地方にもバリアがある。やっぱり懐疑的になってしまう」
 「一つは、中央官庁の役人が本音では大反対していること。自分たちの権限を持っていかれるのは嫌だからね。もう一つは、これもマスコミではあまり言われないんだけど、知事や市町村長が必ずしも「ウエルカム」ではないこと。国からの交付金補助金に頼っている今の方が楽だというのが、彼らの本音です。権限と財源が中央から来ても、自分の役所で対応出来るだろうかと心配していると思いますね」

――大阪府橋下徹知事や名古屋市河村たかし市長はじめ、積極推進論の知事や市長も少なくありませんが。
 「そりゃ、そういう人はいます。でも多数派じゃない。今やっているのは中央からの、上からの改革です。地方地方といいながら、政党を含め中央が主導しているように見える。本来は地域のことは我々が決めるんだ、と住民の間から声がわきあがり、自治体が突き上げられ、国が動かざるを得なくなる、というもののはずでしょう」

 まあ、現状で、はい権限移譲とか言われても、やっていけないのは確か。だいたい、大都市に集まる法人税をどう調整するかとか、三割自治をどう変えて自立化していくか、とか課題はいくらでもある。そういうのをクリアしていかないとどうしようもない。
 あと、「上からの改革」という指摘には同意。だいたい道州制にしても、自治体の合併にしても、実際には中央の都合というのが見え隠れしているし。地域から立ち上がってくるべきというのは、もっともな話だ。ただ、そのような下から立ち上がってくる民意を叩き潰してきたのが、戦後の日本なのではないか。沖縄やら、ダムなどの大規模開発なんかへの反対運動こそが、地方分権の実際の動きそのものなのではないか。
 「住民の声がわきあが」るといっても、相応の枠組みがないと、まとまったパワーにはなりえないし、「自治の文化」も育たないと思う。そのあたりでは、デッドロック状態だよな。民意は盛り上がらないし、上からの改革は機能しないし。


 記事中で、「最大の問題は、実現させた後の、国の姿が見えないことです」とあるが、実際に枠組みをどう作り上げるかというのが、難しい。そもそも、現在の投票率なんかを見ると、民意をくみ上げるシステムがなくなっている。そこをどうつなぎ直すか。