「戦跡考古学:旧飛行場の発掘調査 各地で」『朝日新聞』08/8/24

 明治時代からアジア太平洋戦争にかけての戦争の痕跡を研究する「戦跡考古学」。出土した銃器や食器、発掘された地下壕や高射砲陣地など、あらゆるものが対象となるが、中でも最近目につくのが、飛行場遺跡の調査例だ。発掘調査も増えてきた。(宮代栄一)


 東京・府中市郷土の森博物館で開催中の「発掘! 府中の遺跡 発掘された戦争の記憶&調査速報」展(31日まで、25日休館)。スペースの中心を占めるのが、近郊の戦争遺跡をとりあげたコーナーだ。
 目玉の一つが、首都防衛の拠点として位置づけられていた調布飛行場関連の展示品。「航士」(陸軍航空士官学校)のロゴが入った食器や投下された焼夷弾、発掘調査が行われた府中市内の掩体壕(戦闘機を隠すための壕)の写真などが並ぶ。「掩体壕文化財として保存することになりました。発掘調査を通じ、地域に残る戦争遺跡について考えてほしい」と深沢靖幸学芸員
 『戦争遺跡の発掘・陸軍前橋飛行場』(新泉社)という単行本も出た。既刊51冊の「遺跡を学ぶ」シリーズ中で唯一、近現代遺跡を扱う巻が、飛行場に注目した。
 00-03年に群馬県埋蔵文化財調査事業団が実施した陸軍前橋飛行場の調査記録で、全体の2%にあたる約3万5千平方メートルが発掘され、対空機関砲の砲座跡や飯盒炊さん跡、軍用食器などが出土した。
 こうした飛行場の調査は各地で続く。8月上旬、名古屋大で行われた「戦争遺跡保存全国シンポジウム愛知大会」。熊本県内にあった飛行場の概要に関する調査など、全体の3分の1近くが旧飛行場にかかわる発表だった。
 中でも最近調査に力を入れているのが、山梨県南アルプス市だ。同市は、旧日本陸軍が市内に建設した「御勅使河原飛行場」(暗号名ロタコ)の発掘調査を05年に開始。滑走路や掩体壕などを発掘し、今年度は倉庫に使ったと考えられる横穴壕などを調査した。熊本県内でも今年、神殿原飛行場掩体壕あさぎり町)の調査が進む。これらの発掘により、掩体壕に一定の規格があったことや築造過程などが明らかになってきた。
 『陸軍前橋飛行場』の著者である、菊池実・群馬県埋蔵文化財調査事業団主席専門員は「飛行場が建設されたために、地元では農地が強制接収され、空襲を受け、さらには人々が勤労奉仕にまで駆り出される事態になった。同じようなことが日本の各地で起きた。旧飛行場には昭和の前半期の歴史が凝縮されていると言えるのではないか」と話している。

飛行場は大物だし、大戦末期にあちこちに急造されたみたいだから、興味深いのだろうな。大戦末期の日本の資材・人員動員能力を測る尺度にもなりえるだろう。