「旧陸軍の火薬工場 荒尾二造分析室跡:刻まれた接収の歴史:番号や範囲示す横線発見 市民団体「貴重な戦争遺跡」」『熊日新聞』09/1/14

 荒尾市の県立荒尾高に残る旧日本陸軍の火薬工場関連施設跡から、敗戦時に連合国軍が各施設を接収する際に書いたとみられる番号などが見つかった。戦争遺跡を残す活動をしている市民グループは「敗戦時の接収状況が分かるものは全国的に珍しい」と注目している。


 市内にあった火薬工場の東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所(荒尾二造)は百万坪の敷地があり、終戦まで石炭を原料とした黄色火薬などを製造。生産量は全国の二-三割を占めていたという。
 荒尾高には、できた火薬の検査などを行う検査掛分析室跡(約六百平方メートル)が残り、現在は部室棟として利用されている。
 接収番号は部室棟の改修工事中に見つかった。外壁のモルタルをはがしたところ、白色石灰で書かれた「222」という番号と、建物の角など四カ所には接収範囲を示すとみられる「横線」が現れた。同様の番号は、荒尾二造関連施設の変電所跡や火薬庫跡でも確認されている。
 市民グループ「玉名荒尾の戦争遺跡をつたえるネットワーク」は、貴重な戦争遺跡として分析室跡の文化財登録を目指し、県建築士会あらたま支部とともに敗戦時の図面作りにも取り組んでいる。
 ネットワーク事務局の高谷和生さん(54)は「全国に残る軍需工場跡の中で、接収状況が分かるものは希少。荒尾二造は県内唯一の軍直営工場でもあり、多くに人に知ってほしい」と語る。
 今回見つかった番号と横線は、密閉した上でモルタルが再塗装されることになっているが、ネットワークは原寸大パネルと説明板を設置するなど有効活用を求めており、県教委文化財課は「今後、きちんと調査し、価値付けをした上で検討したいとしている。
                          (宮崎祥一郎)

 荒尾高校の部室棟はすごいな。軍需工場の施設を転用しているとか、面白すぎ。肝試しとか楽しそうや。
 しかし、マーキングが60年以上も残っているのがすごい。