「国指定目指す西南戦争遺跡群 植木、玉東両町:自治体の枠超えて連携:近代史跡保存の先例に」『熊日新聞』10/1/31

  植木町と玉東町にまたがる西南戦争激戦地の遺跡群の国史跡指定を目指す地元の取り組みが盛り上がりを見せている。明治以降の近代史跡の指定事例は少なく、自治体の枠を超えた広域的な取り組みも極めて珍しいことから、県も積極的な支援に乗り出しているほか、文化庁も高い関心を寄せている。    (波床敬子)


 日本の近代化に大きな影響を与えたといわれる西南戦争は1877(明治10)年、九州を舞台に官軍と西郷隆盛率いる薩軍がたたかった国内最後で最大規模の内戦。中でも植木町田原坂、玉東町の横平山、吉次峠・半高山は、両軍が一進一退の攻防戦を繰り広げた大激戦地として知られる。
 国史跡してが実現すれば、現状変更などで規制が掛かるが、史跡の知名度アップや観光客の増加などが期待できるほか、国が主体的に保全に取り組み、史跡整備などにも国費が使えるようになる。
 2町は個別に戦跡の保存などに取り組んでいたが、2008年に県が連携を提案。1年ほどかけて準備を進め、昨年夏には、学識者をはじめ、オブザーバーの文化庁や県の担当者を交えた「植木町・玉東町西南戦争遺跡群連携保存活用協議会」を立ち上げ、各町内には住民代表を加えた遺跡群調査検討委も発足。戦跡の調査活用や周知事業、保存活用策の検討を進めている。
 西南戦争の激戦地が国指定を受けるには、銃弾や塹壕跡など戦いの遺跡を発掘し、戦場の具体的な場所や戦いの様子などを学術的に裏付ける必要がある。2町はこうした戦跡調査を急ピッチで進めており、初年度から成果を上げている。
 植木町はこれまで、田原坂の未開墾地を調査し、官軍のものとみられる小銃弾2点を、戦争当時の状態のままで初めて発掘。開墾地の踏査・聞き取り調査でも、銃弾や薬きょうなどが集中して見つかった場所が特定され、官軍の攻撃方向や薩軍台場の場所が推定できたという。
 一方、玉東町も学芸員を1人増やし、昨年夏から吉次峠・半高山と横平山で調査。横平山の調査では塹壕跡と見られる盛り土付近などから銃弾や薬きょうなど約400点を発掘。刀のつばも見つかっており、官軍の警視抜刀隊など刀での戦闘を実証する重要な史料となる可能性もある。
 戦跡の国指定とともに、活用も重要な課題だ。三つの激戦地周辺には、官薩両軍の墓地や官軍の砲台跡、薩軍病院跡など関連史跡が多く点在しており、2町は地域全体を博物館に見立てた「西南戦争フィールドミュージアム」事業にも着手。新田原坂資料館の整備や観光ルートの開発にも取り組み、農業など地元産業と組んで地域活性化や観光の起爆剤にしたい考えだ。
 文化庁によると、自治体の境界を越え、史跡群をまとめて国指定を目指す取り組みはあまり例がない上、国史跡に指定された戦場も、関ヶ原古戦場(岐阜県)や桶狭間古戦場伝説地(愛知県)など4件のみ。明治元年以降の近代史跡の指定もわずか20点ほどで、実現すれば極めて珍しい事例となる。
 協議会に参加する文化庁の山下信一郎文化財調査官は「国民誰しもが知っている西郷隆盛が関係した国内最後の内戦で、史跡の重要性は高いものがある」と評価。2町の取り組みについても「初年度としては良い成果が出ている。西南戦争は九州各地に戦場があり、ここが文化財保護の発信地となって他の地域に波及していけば」と期待を寄せる。
 2町は今後、指定対象地域を絞り込む戦跡調査を進め、PRイベントの共同開催や観光向けの統一案内マップの作製などにも取り組み、5年以内の指定を目指す。協議会メンバーに加わる県文化課の西住欣一郎主幹は「県としても積極的に支援し、できるだけ前倒しで進めたい。近代史跡の保存や国指定に向けた取り組みの先進事例にできれば」と意気込みを見せる。

 統一報告書や細かい実測地図ができるといいなと思う。確かに著名な戦場だから、指定されてもおかしくないし。ただ、観光地として考えると、どう見せるかが課題だな。