「師匠・松本寿三郎 門人れき女 松寿庵先生江戸咄 第45講:新鳥町はペットショップ街」『熊日新聞』10/5/26

 今回は、新鳥町を含む町人町の話と江戸期熊本における飼い鳥事情。新鳥屋町は江戸時代には鳥屋町と呼ばれたそうで、「鳥を扱う店が多く並んでいたのでそう呼んだ」そうな。逆にいえば、町名になるほど多くの店が経営できるほどの需要があったということで、それだけ鳥を飼うというのが広まっていたのだろう。

先生 いつだったか、古城にある第一高校に同窓会館を建てるため、発掘調査をしたら、陶製の鳥の餌入れが何百個か見つかりびっくりしたことがあった。二千石取り藩士の屋敷跡だ。

 何百個というのがすごいな。同時期に全部あったとは限らないから、一度にはもっと少ないと思うが、それでもずいぶんな数を飼っていたのだろうな。二千石取りだと、そのくらいはできたのだろうか。
 しかし、江戸時代の園芸やら動物の飼育などの文化はすごいな。現代よりもよっぽど高度というか。品種改良とか。変化朝顔なんかすごすぎる。現在も、ディープなところはディープそうだけど。
 熊本では、どの程度のレベルだったのか。肥後六花なんてのが残っているくらいだから、それなりに盛んだったのだろうけど。肥後菖蒲は江戸から導入されているから、参勤交代を通じて、そのような交流も密に行われたのだろうな。


 熊本市内の園芸や鳥飼に関する考古遺物(餌入れや植木鉢)なんかの出土状況をまとめた文献ってあるのかな。あれば便利なのだけど。古町では植木鉢の破片が出土しているのを、発掘報告書で見たことがあるけど。