福嶌義宏『黄河断流:中国巨大河川をめぐる水と環境問題』

黄河断流―中国巨大河川をめぐる水と環境問題 (地球研叢書)

黄河断流―中国巨大河川をめぐる水と環境問題 (地球研叢書)

 黄河の水資源利用の問題とそれがもたらす環境問題について論じた本。第一部では、黄河の水資源利用などの全般的な状況を記述。第二部は、黄河の水文学的なモデルについての話。第三部は、乾燥地での灌漑農業の持続性の問題や水質汚濁、黄河の河床上昇問題など環境問題を中心に論じられる。黄河と環境の問題を知るには、簡単にまとまっていて良いと思う。ただ、タイトルなどに「黄河断流」と大きく出ている割には、黄河断流そのものはあまり取り上げられていないような気がする。確かに、本書のもとになった研究プロジェクトは黄河断流を契機に始められ、問題意識の中に黄河断流はなぜ起きたかというのが強くあるのは確かであるが。
 黄河の断流そのものは、流域全体の取水の管理ができず、それぞれで勝手に取水したことが原因らしい。現在は統一的な取り決めができて、断流は起こっていないとのこと。
 第二部の水文学的モデルについては、とりあえずは使える程度の精度はあるらしいとしか理解できなかった。黄河中流域の黄砂高原では、毛沢東の指導による植林などで植物による被覆が回復しつつある。が、逆に植物による蒸散で黄河への流入量は減少するそうで、なかなか興味深い。逆に、土壌の浸食と土砂の流入・飛散が防げるという効果があるが。
 個人的には、第一部の黄河の歴史や3章の黄河流域全域の土地利用の紹介。第三部で取り上げられる世界の大規模灌漑農業の状況や黄河の河床上昇の問題が興味深い。
 華北平原を流れる黄河下流は、黄土高原から大量に供給される土砂によって天井川になっていること。華北平原そのものが黄河によって形成された扇状地であり、歴史的には頻繁に流路を変えてきたそうだ。金の時代以降、黄河が南流していたのは、杉山正明モンゴル帝国に関する著作などで知っていたが、北の天津の方に流れていた時代もあったとか。
 第三部では、乾燥地での大規模灌漑農耕が地表への塩類集積を招き、それへの対策が確立していないことを指摘。大規模灌漑農業の持続性に疑義を示している。スターリンの置き土産である、中央アジアの灌漑農場の死屍累々の状況が印象的。アラル海とアムダリア・シルダリアの問題は有名だが、他にも維持できず放牧地に戻っているところが多数あるそうだ。また、アメリカのコロラド川流域でも塩類集積が問題になっていることを指摘。将来的に、乾燥地の穀物生産地が壊滅した場合、世界の食料の供給はどうなるのだろうな。オーストラリア、アフリカ、インドと、乾燥地の砂漠化は続いているし。
 いろいろと興味深い本であった。地図とにらめっこしながら読むとなお楽しい。こういう本を読むときのために、わざわざ世界地図帳を買ったのだ。
 以下、メモ:

 木下鉄矢氏(二〇〇七)によれば、黄河治水策には大きく二つの考え方があったそうである。ひとつは後漢の明帝時代の王景による大改修(紀元後六九-七〇年)で、黄河を何ヵ所かで「分流」させてその勢いを削ぐという方式である。もうひとつは明王朝の潘季順(1521-1595)や清王朝のきん輔(1633-1692)と陳こう(?-1688)の、流水をできるだけ狭く集中させて砂泥の河床堆積を許さないという、いわば「束流」方式であった。木下氏は、これらの治水・治砂策が巨額の経費を必要とする事業であり、それを実施しえたのは後漢・明・清という漢人型王朝であったこと、また「分流」方式は宋に入ってからは不安定となったが、それまでの七〇〇-八〇〇年間は王景の提案した「分流」策は成功していたということをのべている。「束流」方式はしばしば決壊を起こし、一八世紀後半にはすでに山東山塊を北に沿う流路が現れたということである。p.69-70

木下鉄矢黄河治水史序説」Humanity&Nature Newsletter,No.4, 2007.

 図10-1は本多嘉明氏ら(一九九二)によって、一九八七年当時のランドサット衛星データから地球陸域における潜在植生とその実態が解析・比較された結果を円グラフとして示している。本図は現状の陸域の植生について、森林、草地(農耕地を含む)、無植生地(砂漠やツンドラを含む)がそれぞれ三分の一ずつを占めていることを意味している。しかし、潜在植生は熱帯林を含めて、森林地帯がおよそ半分を占め、草地が三分の一と現状と変わらないから、もともとは残る六分の一だけが無植生地であることになる。しかし、現状は森林地域が六分の一に減少し、草地は三分の一と変わらないから、結局、無植生地が森林地の減少分、六分の一だけ増加して、三分の一という値となったことを示している。これは地球の陸域としては、半乾燥地で持続できなかった農業地域が無植生地に変化していることを意味している。
 地球人口が増加しつづければ、その食料生産域を拡げるため森林地を蚕食して農地化するしかなく、半乾燥地への灌漑農地化が進行しても、全体としては持続できないで劣化してゆき、最終的には農地として利用できない荒廃地となってゆく。そして荒廃地化する元農地と新規に蚕食された林地面積がほぼ一致するという、ある意味では恐ろしい事態が進行していることを示している。
 全体として、食料は増産できてきたが、これは化学肥料を多く摂取する穀類の品種改良が行われてきたためで、けっして農地面積が増えたからではないという点を理解しておく必要がある。現在(二〇〇七年)でも、一九八七年の農業あるいは牧畜業の経営面積は大きくは変わっていないので、同様の傾向が続いているとみておいてよいであろう。p.133-4


 また、過去において北京の地位が政治的に重要であったことはその歴史から理解できるけれども、今後の長期展望のなかで、なぜ、中国の中心が、今後とも人口増加の方向に進むことになろう半乾燥地で、慢性的な水不足と、それに起因して起こる水汚染・大気汚染に困る北京でなければならないのか、じっくり検討されてもよい課題ではないだろうか。p.151

 確かに。北京は北に偏りすぎているよな。金・元・清などの遊牧王朝なら、遊牧地と農地の境目あたりになる北京は、首都に適していただろうし、明は北の遊牧民をにらんだものとして理解できる。しかし、現在の中国の人口や資源の分布を見ると、中原の方が中心にはふさわしいとも思う。南京に移って、短命王朝を気取るのもあり。まあ、歴史的慣性や既存インフラを考えると、移転は現実的ではないだろうけど。