住民の方がよく口にする言葉に「おれは聞いていない」とか「突然、天から降ってきたようなことだ」があります。ですから、住民参加プログラムは、利害関係者の初期段階からの参加が重要です。
とはいえ、計画がない所では誰が利害関係者かわからない。ある程度それが明らかになってきたら、関係のありそうな利害関係者に声をかける。かけられた方は「そんなことは聞いていない」。本人にしてみれば当然で、ここまで案が固まっていて最後に呼ばれても納得がいかないわけです。ですから、初期段階からの参加というのは、どうしても原理的に無理がある。あるのですが、「だから、しょうがない」ではなく、「それでも、最初からできるだけ多くの方を巻き込みましょう」ということが大事なのでしょうね。
つい最近、どっかで見たような展開だなw
考古学協会の図書寄贈の問題も、「リスクコミュニケーションの失敗」という側面が大きいのだろうな。反対意見も、結局のところ「おれは聞いていない」というのが大きいように見える。人間の集団をまとめていくというのも、なかなか難しいものだ。
人為的介入に対するゼロリスク要求が高いということは、重要ですね。
ダムを造ったり、護岸工事を行うというのは、人間が行うことですので、人工環境の問題という枠組みで捉えられ、ゼロリスク要求は高くなる。ですから、自然災害を抑えようとして人間が介入し、河川の安全性を高めたとします。でも、人間が介入した以上、ひとの見る眼が厳しくなり、介入によるリスクは許容しにくくなっている。たとえ、介入によりリスクそのものが低減しても、それを受け入れたくないと思うわけです。
リスクの認識の問題。体感的なリスクの感覚と実際のリスクの度合いが一致しないのが難点なのだろうな。リスク論というか、実際のリスクの検証結果は、なんか納得しがたいような気がするし。