ぼくリバタリアン!

dr-seton.hatenablog.com
 そもそも、現代社会において「リバタリアニズム」って成り立たないと思うんだ。

もともと、リバタリアンを自称するなら、もっともパターナリズム的なのは「軍事」と「警察(司法)」なのだが、そのことに踏み込んでいる様子も無いしね。もちろん、リバタリアンにおいては「夜警国家」として「軍事」「警察」の存在は最低限のシステムとして認める考えがあることは承知している。が、だ。軍事や警察の有り様というものはリバタリアンなら常に考慮の対象となるものだ((例えば、「イラク戦争」を含めたブッシュ政権の対外的な軍事行使はリバタリアンの立場から批判があった)。

でも、軍事の問題を指摘しているが、そもそもそれどころではない問題を抱えている。国家の最低限の機能として軍事と警察のみを認める「夜警国家」という考え方がある。しかし、現代の、総力戦以降の戦争では、国民を総動員し各種規制を伴う総力戦体制を構築しなければ、自国の安全を守ることすらおぼつかない。そう考えると、安全保障の部分でリバタリアニズムは矛盾をきたしてしまうように思う。「夜警国家」の概念が提唱された時代でも、『軍事=財政国家の衝撃』という本がでていたり、「軍事革命」論で指摘されるように、国家が戦争を遂行するための費用をどう捻出するかというのは大きな問題であり続けたわけだし。
 現在だって、まじめに同格の相手と戦争するなら、「経済的自由」なんざ簡単にけし飛ぶだろう。総本山のアメリカ自体が、格下相手の戦争で、財政青色吐息なわけで。