田中義晧『世界の小国:ミニ国家の生き残り戦略』

世界の小国――ミニ国家の生き残り戦略 (講談社選書メチエ)

世界の小国――ミニ国家の生き残り戦略 (講談社選書メチエ)

 世界各地の人口100万人以下の小国について、その歴史や存立基盤、現状について。太平洋やカリブ海などの小島嶼国家、ヨーロッパの小国、ペルシア湾の小国など、さまざまな国が紹介される。
 戦後の植民地からの独立の過程でミニ国家が出現し、現在も民族独立の理念の下、出現が続いている。東ティモールのような、財政も治安も外国に依存するような国家の叢生が今後懸念される一方で、このような小国の、相対的に民主的な社会が多いなどのポジティブな側面も指摘する。あるいは、小国の「一票の力」や環境などの警告役としての役割。タックスヘイブンをめぐる先進国との軋轢。
 後半は地域毎のミニ国家の存立基盤の紹介。太平洋の島嶼国家の諸問題、特に財政的自立。冒頭に紹介されているツバルなんか人口1万そこそこで、国として運営していくのも難しそうではある。ドメイン商売などで富を生むことに成功する場合もあるのだが。観光や輸出でそれなりに生きるカリブ海島嶼国家、金融や欧州統合などで存在感を保つヨーロッパのミニ国家、アラブの小産油国の外交戦略、アフリカの島嶼国家の状況など。多様性があって非常に興味深い。
 また、赤道ギニアの悲惨さが印象的。石油で大金が転がり込むにも関わらず、それがほとんど分配されず、独裁者の懐に転がり込む状況。一方で国民は貧しく、恐怖と暴力で支配されている。このあたり、国民に教育や医療などの資源が分配されている他の産油国と比べても酷い話だなと。

 地球の友やグリーンピースなどの環境保護団体が多数派工作の中心となって努力を続けた結果、1980年以降にセントルシア、ドミニカ、セントビンセント・グレナディーンベリーズアンティグア・バーブーダなどカリブ海の新興ミニ国家が大挙してIWCに加盟した。1970年代まではIWC加盟国数は14-16カ国で推移していたのが、わずか3、4年の間に19ヵ国が新たに加盟し、39ヵ国にに急増した。このうち10ヵ国ほどが加盟後初の会議である1982年のIWC年次総会に参加した。これら新規加盟国による「数の力」が、1982年の商業捕鯨一時停止の決議案を可決させたのである。投票結果は、賛成25ヵ国、反対7ヵ国、棄権5ヵ国であった。
 ただ多数派工作において、反捕鯨環境保護団体はかなり強引な手法を用いたようだ。反捕鯨の活動家たちは、途上諸国の行政機構の不備に乗じて、アメリカ人をアンティグア・バーブーダの政府代表に押し込んだり、代表の総会出席の旅費を支給したりしたと言われる(“The not so peaceful world of Greenpeace,”Forbes,November 11,1991)。同時に、環境保護団体の後押しをうけて、セーシェル政府は1982年のモラトリアムの提案国になるとともに環境団体にワシントンの大使館をロビー活動に使うことを認め、またグリーンピース元議長で「鯨を救え The Save-the-Whale」運動の中心人物であるイギリス人シドニー・ホルトを、同国の政府代表団に加えたのである(田中義晧『援助という外交戦略』朝日選書536、朝日新聞社、1995年)。p.74

 緑豆とか、IWCで日本が票を買ったとか非難するが、最初に始めたのは反捕鯨側じゃんか。質悪い。

 バチカンレーガン政権の間には、強固な人脈と情報のネットワークが築かれた。ヘイグ国務長官はウォルター大使をバチカンに派遣し、法王およびバチカン国務長官カサロリ枢機卿と協議を重ね、他方バチカンはビオ・ラギ大司教を法王特使としてワシントンへ派遣し、アメリカ政府との情報交換・協議にあたらせた。これら両国にとっての第一の課題は「連帯」運動を存続させることであり、このために援助に乗り出したのだ。すなわち、大量の物資・機材、たとえばファックス、印刷機、、無線機、電話機、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機テレックス、コンピューターなどが司祭、アメリカの秘密工作員、米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)などによって作られたネットワークを通じて、密かにポーランドへ持ち込まれたのである。こうして「連帯」は地下メディアを通じてビラや地下新聞を流布させ、送信機を用いて当局のラジオ・テレビ放送に介入し、着々と民衆の支持を獲得していった。p.80

 共産圏崩壊のために、バチカンアメリカがポーランドの「連帯」に対して行った支援の話。こういう裏があったのか。バチカンレーガン政権とくれば、馬が合いそうではある。