清水克行『日本神判史:盟神探湯・湯起請・鉄火起請』

日本神判史 (中公新書)

日本神判史 (中公新書)

 題名の通りの、古代から近世にかけて日本で行われた神判について検討した本。主に、室町時代の湯起請と近世初頭の鉄火起請についてが主。参考文献と史料に言及される湯起請と鉄火起請のリストが素晴らしい。途中で間があいたから、前半は忘れかぶっているが。
 第1章は古代の「盟神探湯(くがたち)」と「湯起請」の連続性の問題。両者には断絶があると指摘。盟神探湯は700年にわたって、それに類する神判が文学を含む史料に言及されず、断絶したのではないかとする。鎌倉時代には「参籠起請」が存在し、その系譜から「湯起請」は発しているとする。ただ、気になるのは盟神探湯と参籠起請の間では、どのような神判が行われたのかということ。まったく行われていなかったとも考えがたいのだが、どのような儀礼が神判の位置を占めていたのか。
 第2章から第6章は湯起請について、さまざまな側面から議論。史料から収集した湯起請のデータから全体的状況を明らかにし、当事者にとっての意義を探求する。共同体内の平和維持の手段として、裁判戦術としての湯起請。権力者が自分の意思を押し通すための手段として利用されたなどの指摘は興味深い。わりとファジーな感じなのもおもしろい。
 また、証言などのオーラル・コミュニケーションが重視される社会から文書主義の証拠重視の社会へ移り変わっていく時代に、オーラル・コミュニケーションに依拠していた側が、その権利を守るために利用したという指摘も。異なる文脈・文化の間の橋渡しとしての「神慮」といったところか。
 最後は、近世初頭の鉄火起請について。さすがに過酷すぎる試練のためか、件数は減っている。また、村落間の紛争解決型の事例が多いのが特徴。信仰の衰えが、逆に過酷な神判を生み出した、幕藩体制の脆弱さが鉄火起請を容認し、幕藩体制の安定に伴って鉄火起請がなくなっていったと指摘される。
 神判から、中世の日本人の考えや紛争解決の考え方が照射され、おもしろい。読んで損はない本。

 ただ、それだけでは伝承が受け継がれてゆく要素としては、まだ弱い。さらに、もうひとつ、この問題の場合、日本社会の近代化の過程にも要因を求めなければならないだろう。近代に入ると、近世初期につくられ、それまで維持されてきた地域社会の枠組みが様々なかたちで変化してゆくことになる。そうなると、おそらく近代の人々は、地域社会や共同体が変容してゆくのを目の当たりにして、そこで再度、地域社会の始発を語る「創業神話」を強く思い返したのではないだろうか。最近の近世の一揆史研究の成果によれば、江戸時代の百姓一揆で犠牲になった人々を「義民」として地域の人々が顕彰する傾向は、当の江戸時代よりも、むしろ明治時代以降に顕著に認められるのだという。その背景には、やはり旧来の共同体が近代に入って変質してゆくなかで、過去の「記憶」が掘り起こされてゆくという事情があったらしい。現在、鉄火起請ゆかりの地に残されている慰霊碑や記念碑も、そのほとんどが近代以降に子孫や地域社会によって建立されたものである。これらも、地域社会のあり方が次の曲がり角にさしかかっていた時代に、勝ったにせよ負けたにせよ、地域社会の現在の枠組みをもたらした功労者の存在とその「創業神話」が、同じく地域の人びとに再認識されたことを物語っているのだろう。p.172-3

 地域の「神話」の問題。