北河大次郎『近代都市パリの誕生:鉄道・メトロ時代の熱狂』

近代都市パリの誕生---鉄道・メトロ時代の熱狂 (河出ブックス)

近代都市パリの誕生---鉄道・メトロ時代の熱狂 (河出ブックス)

 昨年から今年にかけて、新書や選書で近代パリ関係の本が続けざまに出たため、気になっていた本。都合、三冊ほど出ているな。岩波から喜安朗『パリ:都市統治の近代』(ISBN:4004312132)、中公新書から三宅理一『パリのグランド・デザイン』(ISBN:4121020499)、そして本書と。それぞれ射程とする方向が違うので、その点でも楽しめる。
 本書は、フランスへの鉄道や地下鉄の導入をめぐる議論と、それに見られる「技術者」の特色を明らかにしている。前半は全国の鉄道をめぐって戦わされた議論、後半はメトロ導入を巡っての議論について議論している。
 フランスにおける「エンジニア」養成の特色として、理論重視でゼネラリスト養成の方向性が強いこと。また、サン・シモンなどのユートピア思想の影響をうけた議論が鉄道の計画にも影響したことが指摘される。先に全体の構想が優先されるのが特色となる。
 結局は、「ルグランの星」と呼ばれる、パリを中心にした非常に求心的な鉄道システムが構築されることになる。これは、全国土を均質化し、パリを中心に体系化する思想の表現としては合理的で、フランス革命以降の国民国家形成の流れに沿うものだった。だが、結局、この体系が、普仏戦争での敗北にも影響したわけで、理論倒れという気もしないではない。あと、最初の方、鉄道の問題に集中したせいか、ほかの分野との展開がなく、微妙に物足りないような気がする。
 後半はメトロ導入をめぐる議論について。地下鉄の敷設をめぐる国とパリ市の対立、そしてメトロを高架にするか、地下鉄にするかをめぐる議論。前者は、国内ネットワークの中枢として国造りに従属する形で(終端駅の接続を優先する)か、市内の交通の便を図るためかの対立が、投影されている。結果的には、パリ市が勝利し、市内交通のシステムとして建設される。いろいろと国レベルの鉄道が侵入してこないように手を打っている辺りがおもしろい。後半は、景観保全と新たな景観の創出による社会の変革という対立軸を中心に整理されていると、とりあえず理解した。このような議論の末に、最終的には地下鉄方式になり、高架部分も非常に周囲の景観に配慮した、注意深いデザインの建築物になっている。
 うーむ、改めてまとめると、急いで読んだせいか、あまり理解できていない。


 以下、メモ:

 そもそもこのことは、技術は理論にもとづくという、フランス技術界に今も受け継がれている信念のようなものを反映しているし、社会を方向づけるために普遍的な原理を重視したフランス革命政府の考えとも通じている。いずれにしても、エンジニアに徹底的な理論教育が行われることで、工学系の学生の学力は向上した。さらには、卒業後に進学するポンゼショッセやミンで教える土木や鉱山の分野自体でも、理論化が推し進められていった。
 第二に、数学と物理を最重要科目に位置づけていた一方で、高級官僚に欠くべからざる知識として、文学、歴史などの文系科目の教育の充実も忘れていなかったという点である。王政復古期に革命前の価値観への揺り戻しがあったとはいえ、新たな社会秩序を構築するためには、数理的な体系だけでなく、それを社会とつなぐ知識体系、つまり文学や歴史の知識が必要と考えたのである。これはモンジュの三本の柱のうち百科全書的教育に相当する。啓蒙時代の名残ともいえるが、混迷の時代にこそ、本質的な議論の素地に文理両面の確かな知識が求められることは今も変わりない。p.36-7

 19世紀のエコール・ポリテクニクの教育の特色。「技術は理論にもとづく」という考え方が、フランスがインフラ系に強い理由なのだろうか。

 こうした市のヴィジョンの前提となるのが、パリの活力の源泉が、職住近接型の生活を基本とする中小の製造業にあるという基本認識である。そして、その職人・労働者たちの生活スタイルを、郊外居住を前提とする職住分離型に改めるのは非現実的と考え、メトロ計画においては市外からの通勤者の便を考慮しなかった。もちろんその裏には、市民が郊外に移住し、市内人口が減少することに伴うさまざまな弊害――たとえば議員の定員削減に伴う政治力の低下――も彼らの念頭にあった。p.149

 この職住近接を維持したところに、パリの強みがあるのだろうなと思う。