小倉孝誠『パリとセーヌ川:橋と水辺の物語』

パリとセーヌ川―橋と水辺の物語 (中公新書)

パリとセーヌ川―橋と水辺の物語 (中公新書)

 ここのところ、パリ関係の本を結構読んでいる感じ。何となく意識して、見かけたら借りている。
 本書は、18世紀から19世紀にかけて、セーヌ川がどのように描かれてきたか、文学や絵画を中心に再構成している。交通路としてのセーヌ川、労働の場としての水辺、祝祭や娯楽の場としてのセーヌ、小説や絵画の対象としてのセーヌ川、死とセーヌ川、橋の機能の6章に分かれて、パリとセーヌ川の関係を描いている。文学を専門としている人のようで、小説の舞台や絵画の対象としてのセーヌ川を扱った第4章が、精彩に富んでいるように思える。あとは、橋を扱った第6章も興味深い。権威のディスプレイ装置としての橋、あるいは人生の舞台としての橋。
 あと、気になったのはセーヌ川の水質。18、19世紀の人々は、セーヌの岸辺をリゾートの場、生産の場、水浴の場など多様に利用していた。しかし、それこそ絶対王政期のパリは「汚物都市」なんて呼ばれたりするほど汚染されていたわけで、パリ周辺のセーヌ川の水質も当然酷いものだったと思われる。そのセーヌ川の魚を釣って食べ、下流でボートを漕ぎ、水浴場で泳ぐ。逆に健康に悪かったんじゃないかと、心配になるのだがどうだったのだろう。気にしなければ、気にならないということなのだろうか。このあたりの「感性」の歴史ってのは、よく分からないものがある。


 第3章の祝祭と娯楽の場としてのセーヌというのも興味深い。『ハプスブルクの文化革命』(ISBN:4062583402)によれば、近世までは娯楽というのは、信仰や仕事と、時間的・空間的に隔絶していない「遊山」的なものであった。それが、啓蒙思想によって身体感覚が作りかえられたと指摘される。その考えをパリに適用する場合、119ページ以下で展開される、郊外の村のリゾート地化というのは、指標として重要なのだろうと思う。純粋に遊びに行くために出かける。そこでは、他の時間との明確な分離が見られる。


 もう一つ印象に残ったのが「モルグ」の話。身元不明の遺体を公開し、情報を求める「遺体公示所」なのだが、そこがスペクタクルの場、社交の場と化しているという状況。まあ、ヨーロッパ人って割とそういう悪趣味なのが好きだよなとも思うが、なかなか凄まじい光景だなと。まあ、実用的にも有用であって、9割方の遺体は、ここで情報を得て身元が判明したそうだ。


 個々のトピックはなかなか興味深いが、全体としてはかっちりまとまり切れていないよう思う。