大岡敏昭『幕末下級武士の絵日記:その暮らしと住まいの風景を読む』

幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む

幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む

 忍藩(埼玉県行田市)の下級武士、尾崎石城の絵日記から、当時の武士の生活を再現している。元は御馬廻役で100石取りの武士だったのが、尊王攘夷思想に共鳴して上書を提出したために、蟄居を命じられ、十人扶持に落とされた人物。事実上ニート状態で、鬱屈した感情も見えるが、書画で金を稼ぎ、一方で毎日出歩いたりと、それなりに楽しく生きている様子が描かれる。
 本書は、建築系の人がまとめただけに、住居やその利用について、興味が集中している。しかしこの絵日記を、たとえば、食物史や文学史といった視点から読み直してもおもしろそうだと思った。あとは、社交とか人間関係の方面から攻めることできそうだ。本書でも、細かく食事のメニューが記録されている上に、宴会と通常の食事ではずいぶんメニューが違うなど、いろいろな特徴が指摘されている。忍藩では意外に魚が食べられているというのが興味深い。宴会になると刺身もよく食べられていたようだ。どこから供給されたのか、宴会などの社交で需要があったために比較的内陸まで流通ルートが形成されていたということなのだろうか。近世には内陸では、塩蔵あるいは干した魚が主体だと思っていたが、地域性が大きいのだろうか。
 第五章の武士の住宅についての議論は専門だけにおもしろい。方位に関係なく、道側に接客空間の座敷を配し、反対側の奥に家族生活空間を置く、表‐裏の考え方に基づいてつくられていたと指摘する。これに対し、現在の住宅は南向き偏重で閉鎖的になっていると批判している。確かにその通りではある。ただ、このあたりの「プライバシー」重視ってのも、現在の日本で異常に発達している側面はありそうだと思った。そもそも、ヨーロッパの住宅にしても、19世紀に入るまでは、それほどプライバシーが確保されていたわけではない。都市にしろ、農村にしろ、平民の住宅はほとんど共同利用だったし、上流階級では召使などが入って、これまた逆にプライバシーが存在しない。そのあたりを考慮した上で、住宅論を見ていく必要があるのではないだろうか。あとは、「社交」というのの意味の変化も考える必要がありそう。