赤嶺淳『ナマコを歩く:現場から考える生物多様性と文化多様性』

ナマコを歩く―現場から考える生物多様性と文化多様性

ナマコを歩く―現場から考える生物多様性と文化多様性

 どうまとめたらいいだろうか。ナマコの生産や流通の現場の報告と、そこから派生した欧米主導の生物保護運動に対して、地元の人間の活動をも含みこんだ生物/文化多様性の必要性の主張といったところか。読み直す要あり。
 フィリピンとマレーシアの境界近くにある島、マンシ島における漁業活動の変化がいくつかの章にまたがって述べられているが、この地域の漁業の可塑性と言ったらいいのか、市場の状況に従って対象魚種や漁法を柔軟に変えていく姿が興味深い。この島の漁業が、そのような柔軟性を持つのは、投機的な漁業であることと、漁業活動にあまり資本が投下されていないというあたりが要因なのだろうな。この点では、北海道の利尻島のナマコ漁が戦後一旦絶え、その後復活した、そのような変遷と相似している。設備費が比較的低く労働量の投入も少なくて済む沿岸漁業の強みではあるのだろうな。大型漁船を使った大規模な漁業ではどうしても漁獲圧力が高くなりすぎてしまう。
 あと、マンシ島が、辺境の小島にもかかわらず(だからこそ?)、世界経済と密接な関係を持っていることが指摘されている。1990年代のダイナマイト漁が、ミンダナオ島プランテーションへの干し魚供給によって、あるいは鮮魚レストランへの活魚の輸出などがその例だろう。
 第三部は各地のナマコ食文化についてだが、ここも興味深い。単純に中国は大量にナマコを輸入しているというだけにとどまらない地域性や動態が紹介される。南の広東料理と北の北京料理でナマコの利用がずいぶん異なっていること。北ではマナマコが、南では熱帯産のナマコが利用され、北では個人単位に、南では大型のナマコを大きな皿で出し個々に切り分け、というコントラストと、スタイルの変化による南のナマコの需要変化。大連のナマコ加工品の多様性と日本の塩蔵ナマコのブームの関連、韓国のナマコ食文化、アメリカの中華街ではアメリカ産のナマコが流通している状況など、目もくらむような多様性が紹介される。
 第一部と終章は、生物多様性と地域研究の問題に関して。欧米の一元的な生物保護論とアメリカのサンゴ礁保全政策を中心とするエコ・ポリティクスに対する批判。サンゴ礁など、その土地に住む人々の文化と独立も多様性保全の俎上に乗せること、また、熱帯産品を使用している「われわれ」自身の加害性。あるいは生物の保護の議論に利用も含む「保全」と介入を排除する「保存」の二つの概念が混在し、「持続的利用を意図する保全を唱えながら、その実質が保存へと傾いている」という議論のねじれの指摘。一方的な議論でなく、多様な立場や文脈をも考慮した上で、議論を重ねていくべきだと指摘する。このような地域研究が、知的ヘゲモニー構築の上で結構重要かもしれないと思った。少なくとも、ファナティックな動物保護運動への対抗言論の形成は重要なのではないか。
 全体的に、ナマコの話とエコ・ポリティクス関連の議論が、きっちりと繋がっていないような気がする。著者の時々の関心と活動を記した論文から再構成されたものの用で、そのあたりの時間ごとの関心の齟齬が、全体に影響しているのだろうか。


 以下、メモ:

 くわえて、生物多様性は人類の共有財産であるとして、ワシントン条約などの国際条約やFAOなどの政府間機関(IGO:Intergovernmental Organization)はもとより、巨額な寄付金をうしろだてに途上国に厳しい環境保護政策をせまる国際環境NGOが資源管理に関与する今日、わたしは、グローバルな資源管理の枠組みと地域社会が個別に育んできた資源利用の固有性を同時代史的に議論せねばならないことを痛感している。p.54

 原住民生存捕鯨は、IWCが、鯨肉の地域内消費の重要性ばかりではなく、文化的・経済的関係を維持する目的で捕鯨地の外部へも鯨肉を流通させることを認めた点で評価できる。しかし、問題もある。まず、流通の許容範囲については明言を避けている。さらには、生存(subsistence)と貨幣経済の関係が曖昧である。生存捕鯨を許可された先住民のなかには、近代的捕鯨砲を採用していたり、捕鯨シーズン以外にはエビ・トロール漁などさまざまな商業漁業をおこなっていたりする人びともいる[Caulfield 1994]。
 このような現実を考慮した場合、鯨肉を物々交換する場合には生存捕鯨が適用され、「科学的」に資源がきわめて低位状況にあることが確認されているホッキョククジラの捕獲が許可される一方で、鯨肉の売却には商業性があるとされ、「科学的」に資源の増加が確認されているミンククジラの捕獲も禁止されるというIWCの見解は、理解しがたい。先入観を排し、民族文化の多様性と歴史性を考慮した捕鯨のあり方が模索されるべきではないだろうか。この視点は、ナマコのような古くから、しかも広域にまたがって商品化されてきた資源の管理を考える際に重要となる。
 生存捕鯨の「生存」とは、生物としてのぎりぎりの活動を維持することである。先住民が生きていくためには、たしかに栄養学的にも、経済的にも、クジラは重要である。だが、より重要なことは、精神的・文化的に豊かな「生活」を送るためにも、クジラが不可欠な存在であるという点である。p.78

 つまり、マンシ島でみられた資源利用の特徴は、特定の生物資源を持続的に利用するのではなく、外部環境との関係性において、つねに資源を選定しなおす柔軟性にあるのである。
 それでは、漁業活動にみられる弾力性を、どのように理解したらよいのだろうか。
 そもそも東南アジア多島海の人びとは、海を生業活動の基盤としながら、時と場合によって漁民、航海民、商人、海賊などと化してきたポリビアン(polybian<poly多様な+bios生き方)ではなかったか[立本 1999]。そうだとすると、そのような人びとの資源観あるいは環境観は、どのようなものとなるだろうか。当然、特定魚種や漁法にこだわらない柔軟な操業形態が予想される。しかも、そのような経済活動は、おのずと投機的な傾向をもち、資本と人口の流動性も激しくなると想定される。
 投機的経済活動、人口の流動性、多民族社会といった特徴を備えた社会を「フロンティア社会」とよび、東南アジア海域世界のなりたちを「フロンティア」という概念で説明しようとする試みが注目されている[田中 1999]。本章で取り上げたマンシ島社会は、この三点の性格をあわせもっている。しかも、マンシ社会は、漁業活動に必要な物資や日用品のみならず、漁獲物までもマレーシアへ密貿易するように、国境という既存の「制度」を逆手にとることで成立している。このような意味において、マンシ島はフロンティア社会の典型といえる。p.117-8

 この「場」や「空間」を重視する山田の姿勢は、いうまでもなく、個別の「地域」を細かにみつめ、人びとが自然にはたらきかけてきた、多様な関係性の歴史を再評価するという作業を意味している。この視点に立脚すれば、生物多様性条約の前文において、1「先住民社会が生物資源に緊密かつ伝統的に依存している」こと、つまり、先住民による利用権が確認され、2「生物多様性保全とその構成要素の持続可能な利用に関して、(先住民が継承してきた)伝統的知識や慣行(を評価するとともに、そ)の利用によってもたらされる利益を(先住民社会に)衡平に配分する」ことが締約国に要求されていることにも合点がいくであろう。米国の科学者たちが、自然や野生生物ではなく、わざわざ「生物多様性」なる述語を創造し、それを保全対象にすえた背景には、純粋無垢な存在だと信じ、人間の活動を排除してきた原生自然(wilderness)観から離別し、人間を生態系の一部として認識していこう、という発想の転換があったのである。つまり、生物多様性条約のいう「生態系の多様性」には、人間の介在(時には攪乱も)を前提とした「生態系」が含意されているのである。p.338-9

 七月、その村を、英国などを拠点とする環境団体「クジラ・イルカ保護協会」上席研究員のエリック・ホイット氏らが訪れ、村職員らと説明会を開いた。漁民らに「クジラ保護」とホエールウオッチングによる観光振興の受けいれを説き、代替漁業への援助を提示。「国際法・国内法にのっとり、海洋生物の保護計画に従う」などと記された文書に署名を求めた。漁師のブランさん(三七)は「この先捕鯨をできなくなると、その時にわかった」と怒りをにじませる。
 日本鯨類研究所によると、マッコウクジラは北西太平洋だけで約一〇万頭が生息、絶滅の危険性はない。しかし、ホイット氏は「生息数は計画に関係ない」とし、「目的は住民の生活水準向上だ」と計画続行を主張する。同氏によると、村での活動は「グリーンピース」関連の基金など国際的NGOの資金提供を受けている。
 「クジラと少年の海」などラマレラの捕鯨についての著作を持つ作家、小島曠太郎さんは「村人が築いてきた捕鯨文化を何も理解しない外国人が破壊することは許されない」と、計画意図に疑問を示す。p.332

 毎日新聞の08/8/26付け記事「揺れる捕鯨の村:インドネシア・ラマレラから(上)観光化説くNGO――「援助」で誘う「文化」の断絶」という記事から。なんというか、クジラ保護運動の傲慢さというのを明確に示しているな。「住民の生活水準向上」が目的だなんてお為ごかしだな。