野地恒有『漁民の世界:「海洋性」で見る日本』

漁民の世界 「海洋性」で見る日本 (講談社選書メチエ)

漁民の世界 「海洋性」で見る日本 (講談社選書メチエ)

 漁民、特に地元で定着的に生活をしつづける半農半漁の人々と、移住を行い専業的な漁業を行う人々の対比を中心に、日本の生活文化における「海洋性」の根深さを指摘する。
 第一章は渋沢敬三柳田国男桜田勝徳の三人の民俗学者の「海洋性」をめぐる見方の整理。
 第二章は、屋久島の中間の事例を中心に、寄り魚漁の組織から、定着漁業集落の組織のあり方について論じる。所有関係を中心に構築された階層とは別に、職能によって階層化された組織の原理が存在すること。また、魚種などの変動に対し外来者を受け入れ再編を図っていく、定着漁業社会の「軟構造」を明らかにする。
 第三章は、田植えのときの神事や宴会で出される田植え魚から、日本文化の海洋性を指摘。海の神が稲の守り神である可能性を指摘し、だからこそ、日本文化の中核には海洋性があるという。また、寄り魚の地域性が、祭りに使う魚の地域性を生み出していると指摘。
 第四章・第五章は、移住漁民の事例から、移住漁民の定住の性格や、その移住先との関係について整理する。定着漁民が地域の複数の資源を利用し定住の存続を図るのにたいし、移住漁民は特定の漁法・魚種に専門化する傾向が指摘される。その結果、環境の変化に際し、その漁法で生活できる場所へ移動していく「ゆるやかな定住」「移動をはらんだ定住」の性格を示す。また、漁民は故郷を再現するのでもなく、移住先に同化するのでもなく、その技術を持って独自のポジションを築く、そのようなあり方を示すと指摘する。また、移民を受け入れる側も、外来者の技術や文化を単純に受容するのではなく、自分たちの必要に応じて取捨選択するのだと指摘する。
 具体例から、移住漁民と定着漁民の交流の様相が見えて興味深い。ただ、そこから日本文化の「海洋性」という議論にはうまくつながり切っていないように感じる。確かに、海産物という要素が日本の文化の中核にあるという指摘は重要だと思うのだが。縄文時代にまでさかのぼる土器製塩の事例を考えると、むしろ内陸の人々が切実に海産物を欲したと考えることができよう。塩の嗜好品としての性格を考えると、「海洋性」というのはより理解できるかもなと考えた。


 また、本書を読んでいて感じたのは、「日本文化」という視角の限界。日本の社会が海と深く結びついていたとして、だからといってそれが日本固有の性質とは限らないのではないだろうか。これの前が東南アジアの海民社会についての本だっただけに、そのあたり比較の視野が必要なのではないかと感じる。東南アジア社会との共通性があっただけに、糸満漁民を中心とした日本国領域内の漁民たちが、参入できたのではないかとも感じる。
 また、投機的経済活動、人口の流動性、多民族社会の性格を持つ東南アジアの社会をフロンティア社会という概念でくくる試みがあるようだが、「移動をはらんだ定住」という性格を持つ日本列島の移住漁民も、その延長線上で考えることができるのではないだろうか。移住漁民の「専一性」を市場とより密接につながったと解すならば、投機的経済活動と比較的近しいと考えることもできよう。定着漁民と移住漁民の二重構造も「多民族社会」に近いものと考えれば、ますます近づくのではないか。
 マンシ島のサマ人が市場動向に応じて漁獲対象や漁法を大きく変えていったのに対し、日本の移住漁民は専門化が進んでいる傾向は対比して考えられるだろう。しかし、日本の漁民にしても、例えばヨロンノ衆がロープ引き漁に集中する以前は、潜水漁や地元のトビウオ漁、刺し網など多様な漁法で生活を営んでいたことを考慮すると、その距離は思ったよりも遠くないのかもしれない。


 以下、メモ:

 補足してまとめると、遣唐使や八幡船(海賊)の歴史をあげて日本人は海洋民族なりといくら言っても、事実とはあまりに食い違っている。日本人の多くが海に背を向けた生活を続けてきた。海辺には農村ともいうべき村の方が多く見られる。しかし、その一方で、祭りや祝い事などに海産物を供物や贈答品として用いたり、清めとして塩や潮を用いる習慣は海辺だけではなく日本全体に広くみられる。われわれは心のうちに「潮の濃さ」を感じ取ることができる。それは「海に根差した行為思考上の様式」つまり「海洋性とも称すべき伝統」である。日本文化には海のものを不可欠とする「海洋性」の伝統が見出されるのである。p.33

 そういう意味では、日本社会の海洋性は疑いないといえるが、その論理だと海洋性は結構遍在しそうなかんじではある。

 宮本常一民俗学が生んだ最高のフィールドワーカーであろう。彼は第二次世界大戦前から戦後の日本全国を歩き、ふつうの人々の暮らしぶりの記録をたくさん残した。その宮本をして話の聞きかたを教えられたと言わしめた相手が、桜田である。一九四〇年、宮本は桜田といっしょに、静岡県伊豆半島の調査をおこなっている。そのときのことを、宮本は次のように回顧している。


 はじめの二、三日の桜田さんはごく平凡な人であった。ところが[伊豆半島の]土肥の南で腹が減ったので店屋にはいって菓子でも買おうと思って桜田さんに声をかけると、酒を一ぱい飲みたいという。私は桜田さんが酒好きであることを忘れていたのである。酒がはいると桜田さんは俄然活気が出る。そしてそれからさきの旅は実にすばらしいものであった。安良里でのイルカ漁、田子での若者組、カツオ漁、松崎でもブリ延縄漁などみなすばらしい話であった(宮本常一「解説」『桜田勝徳著作集』1巻、名著出版、1980年)。


 酔えば酔うほど強くなるカンフー映画の『酔拳』を見るようである。宮本は桜田から酒の飲み方も教えられたという。生き返った桜田がインタビューするようすはこんなふうであった。p.36


 山陰沿岸で、寄り魚のトビウオが魚食や儀礼の地域的特徴を作りだしたことを見てきた。今西錦司は、南九州で得たトビウオ食の印象から、次のように述べている。


 南九州へいったら、きっとトビウオを食わされる。トビウオというのは、南日本では、北日本のサケ・マスにあたる魚だ。とれる時期がきまっていて、一時にたくさんとれるところも似ているし、それを加工して長持ちさすところも似ている。九州の山地では、塩ザケのかわりに、トビウオの干物がお弁当の菜にあるのである。くわしく調べたら、日本はサケ・マス文化圏とトビウオ文化圏に、わかれるかもしれない(今西錦司『私の自然観』講談社、1978年)。

 うーん、熊本ではあんまりトビウオって聞かないような。正月もブリだしな。

 移住地域でおこなわれる移住漁業に共通しているかたちは、一つの漁法で周年稼いでいるということである。つまり、一つの漁撈技術に特化して、それを専門的に行っている。専門的にというのは、移住先の地元では見られない技術であること、年間の漁業経営の主要な部分を構成しているということである。こうした特徴を専一性と呼ぼう。移住漁業の特徴は専一性である。p.181