青木栄一『鉄道忌避伝説の謎:汽車が来た町、来なかった町』

鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)

鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)

 鉄道忌避伝説について検証した本。ルート決定の最大の要因は地形であり、勾配、橋やトンネルの建設をなるべく避けるといった観点から決定されていること。また、忌避伝説が語られる路線で、実際に反対運動があったことは史料上からは確認できず、むしろ誘致運動の方が多かったと指摘する。このあたりは、納得。特に勾配は重要視されたというのは、素人には分かりにくいので。


 後半の実際の鉄道への反対運動以降は、読むにたえない感じ。鉄道そのものへの反対と予算配分や路線選択をめぐる議論をごっちゃにしていたり、上から目線というか反対する側への軽蔑的な視線にうんざりする。水害の問題については、反対する側にもそれなりの合理性が認められるのではないか。建設側の理屈だけを採り上げて、理のないと批判するのも疑問。
 また、宿場町の反対運動の事例として、参宮鉄道をめぐる事例が、唯一の事例として紹介されている。これについて、

 こんな意見が多数意見なものか、本当の理由は別のところにあるのだろう。そのようなことをよく調べるのが県当局の仕事であろう、と突っぱねた回答である。
 そこで内務省が実態を調査したところ、「自ラ為ニスルモノアリテ沿道人民ヲ教唆シタル結果ナルコトヲ認メタレバ、政府ハ断然是等ノ請願ヲ郤ケ」、八月十八日付けで参宮鉄道発起人に免許状を与えた。「自ラ為ニスルモノ」とはいかなる理由なのか、『日本鉄道史』には何も書いていないが、沿線地域社会の有力者間の反目があったのかもしれない。p.156

としているが、片一方の当事者の言及だけを採り上げるのは危険なのではないだろうか。また、無理筋の議論だとしても、600人ほどを集める程度には反発があったということも重視するべきではないだろうか。


 続いて、鉄道忌避伝説の定着過程を追跡している。1930年代から出現し始めて、1950年代の地方史研究の拡大によってそれが拡散したと指摘する。また、小中学校の郷土史の教材から拡散した状況を指摘する。史実として反対運動によって、鉄道路線が左右されたという証拠はない。そこは歴史学として、反映すべき事柄だろう。しかし、「書き飛ばした」などの攻撃的表現で無視してかかるのも、また問題ではないか。むしろ、鉄道を忌避したという伝承がどうして出現したかを重視するべきではないだろうか。
 特に、「桑が枯れる」という反対理由は、後付けでは出てきにくい気がする。何らかの事実の根っこはあるのではないだろうか。勾配によってルートの選定が規定されたということを知らない人間が多数なわけで、比較的早い時期からこのような伝承が出現していた可能性は結構高いのではないか。他の情報を知らない場合には、地元の伝承をそのまま書いてしまうことはありうるわけで、それを無知蒙昧な輩と単純に退けるのではなく、地域の人たちが自分たちが住んでいる土地をどう見ていたかといったテーマを考える手掛かりとして考えていく必要もあるのではないか。
 だいたい、他人の無知を論難する筆者自身が、無知ゆえの過ちをおかしている。陸軍が海防の観点から、内陸ルートを主張し、『鉄道論』を刊行してその主張を訴えた事実に対し、

 『鉄道論』を見て、井上勝らの鉄道官僚がどのように考えたか、鉄道側の編纂した史書には何も書かれていない。『日本鉄道史』のような鉄道側の正史は『鉄道論』には触れてもおらず、黙殺の形である。おそらくこの程度の幼稚な議論では井上たちはせせら笑っていたに違いない。p.120

 しかし、陸軍の海岸線忌避論は、陸軍内部での鉄道知識が積み重ねられてゆくにしたがって、色あせてゆく。一八九〇年代後半に入ると、大沢界雄のように陸軍内部で鉄道を専門とする軍人が出てきて、こんな幼稚な海岸線忌避論よりも鉄道の統一的な運営、運用(=国有化)こそ、軍事輸送の最重要事項と主張するようになるのである。p.121

と書いているが、必ずしも陸軍側の主張も不合理とは言えない。この時期の日本海軍は清国に対しても劣っていたし、欧米諸国からの侵略の可能性は、無視し得るものではなかった。明治20年代半ばか、もしくはそれ以降にも、海岸から離れた場所に路線を敷くという主張は繰り返されているし、鉄道官僚はせせら笑うどころではなくそれへの対処に迫られている。山陽鉄道防府以西は、そのような配慮で建設されたという。少なくとも、陸軍の主張も一定の合理性のあるものであった。
 また、陸軍内部での議論の変化も、戦略環境や海防から外征へとドクトリンが変化したことに伴って起きた可能性が高い(斎藤聖二『日清戦争の軍事戦略』asin:482950336X参照)。陸軍内部での議論も、必ずしも「幼稚」でかたずけてもいいものではない。
 著者自身も、軍事史に無知であることから、このような間違った議論を展開している。しかし、人間はすべての分野に精通することはできない。知らないことに対して、謙虚にあるべきであろう。また、最近ではオーラルヒストリーが注目されるように、伝承そのものも、別の何かを明らかにする手掛かりとなりうる。史実そのものとは別にして、このような「伝説」も大事にしていくべきなのではないだろうか。


 熊本駅の用地選定をめぐる「鉄道忌避伝説」については、岡田直「城下町都市における「鉄道忌避伝説」をめぐって:盛岡と熊本の事例」『地方史研究』304号、2003という文献があるそうなのでメモ。今となっては、どうしようもないドンズマリと化しているけどな、熊本駅